こういう言い方が適切かわからないけど、Webアクセシビリティにも広さと深さがあるなと思う。
広さ
広さとは、ある文書がどれだけ扱いやすい、接近しやすいかということです。
例えばプログラミング言語にとっては、PDFはライブラリなどを使わないことにはアクセスしづらいですし(狭い)、一方でMarkdownのようなプレーンテキストであれば、どんなプログラム言語からでも容易にアクセスできます(広い)。
また例えば人間にとっては、Wordで書かれた文書はWordを持っていないとアクセス出来ないのでこれも狭いといえるでしょう。
深さ
深さとは、文書内の特定の情報に対するアクセスのしやすさです。
例えば、ある文章のキーワード、タイトルなどの情報がすぐにわかれば、区民が区役所の文書にアクセスする際に探しやすくなります。また区役所内の方が文書にアクセスする際には、タイトルやキーワードに加え、少なくとも執筆組織/者、関連担当組織/者、執筆時刻、承認者あたりは簡便にアクセスしておきたいでしょう。それが担保できていれば深く、できていなければ浅い文書というわけです。
深さを担保するコスト
これであれば、ガリガリとマークアップしたHTMLが最強という感じがしますが、実際はそんなに簡単な話ではないでしょう。
深さは上記のように文書の目的から決まってきますが、あれもこれもとあちこち深くすることを求めると逆に作成コストがかかってしまい、執筆者の意欲を失わせますから、逆説的に浅い文章しか生まれなくなってしまいます。
ですから、実際のところは広さを担保しつつ、執筆者のコストとユーザのメリットがとれたあたりで深さを担保することになるでしょう。
So what?
なぜこういうことを考えたかというと、Markdownは確かに文書へのアクセシビリティを高める上で重要なアプローチだと思うのですが、それはあくまで広さを広げるものだと思うのですね。
Markdownで文書をあまり深くはできないし、文法や理念的にもそうするものでもない(あまり拡張性を求めないほうが良い)と思うので、YAMLなどのMarkdownと相性のいい(人間が読み書きやすいという意味で)構造化データと組み合わせて使うのがよいのかなと。それで、広さとは別にどうやって深さを深めていくかという議論も、文書標準化と絡めて考える必要があるでしょうね。
…と、@zerobaseさんの一連のツイートを見て思った次第。
ちなみに、ここで扱っているWebアクセシビリティとは、情報への到達しやすさを示すものであって、自分の考えるWebアクセシビリティ(利用者の目的を達成するために文書内容を活かして伝える)の中の一要素という感じです。
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