ユーザ中心デザインとか、ユーザ体験デザインとかの勉強をしてかれこれ3年くらいになるんですが、そのためには情報のアクセシビリティが良くなることが特に大切だと最近は思ってるんですね。 で、今日はその理由とか、じゃあどうアクションするよ、みたいなところを書いてみます。
Google glassとアクセシビリティ
まずは、「アクセシビリティとユーザ体験ってどう関係あるのよ??」と思った人向けに小話をひとつ。
少し前にGoogleのメガネ型情報機器 Google Glass(以下、Glass)のデモ動画が公開されて、話題になりましたね。面白い動画なので未見の人は一度見てみてください。
動画の中で気になったところを見ていきましょう。
車移動でのナビゲーション。どの通りを曲がればいいのか、その通りは何m先か、あと何分くらいで着くかなどを教えてくれています(地図情報や目的地の位置情報が必要そうです)
搭乗する予定の飛行機があとちょっとで出ちゃうってことで空港内をダッシュ。あらかじめインプットされていた出発時間や搭乗区間などが表示されています(チケットの情報が必要そうです)
ついでに詳細ってことで、ゲートの場所まで教えてくれます(結構、詳細なチケットの情報が必要そうです)
彫刻師の方が氷から虎を掘っているみたいです。「虎の画像を見せてくれ」との求めに応じて、いろんな角度の虎の画像を探してきます(虎の画像と画像ごとの角度情報が必要そうです)
水族館を散策中。クラゲで検索してくれと言われてWikipediaの解説を提示(Wikipediaの情報、その要旨が必要そうです)
素朴な感想ですが、Google Glassがもたらすユーザ体験は素晴らしいと思います。今までできなかったこと・やらなかったことをできるようにするという意味で、人間の知性を拡大する道具だろうと。
しかし、これを実現するには一方で、高度な技術と、必要な情報へアクセスできること(アクセシビリティ)が前提として必要になるでしょう。 技術はさておき、アクセシビリティについて考えると、地図情報にアクセスできなければ、Wikipediaの要約にアクセスできなければ、こういう体験は設計できなかったわけです。
ですから、_アクセス可能な情報が少ないということは、それだけ良いユーザ体験を実現するための制約が大きい_ということです。ユーザ体験デザインでいくら達成したい体験を明確にしたとしても、そうした制約が大きければ、結果として達成可能なデザインの幅は大きく狭まってしまうわけです。
これが、私がアクセシビリティを重要だと考える理由です。
もちろん、良いユーザ体験が必ずアクセシビリティを必要とするわけではないです。美味しい料理を出して、サービスも抜群のお店とアクセシビリティはあんまり関係なかったりしますね。可能性としての制約があります、という話です。
アクセシビリティって?
アクセシビリティというと、とかく高齢者・障害者にフォーカスされた話と受け取られがりですが、こういう例を出すとそうでないことはおわかりいただけてるかと(具体的施策としてそうした特定層が意識されることはよくありますが)。
では、アクセシビリティの定義は何かと言いますと「様々な人が様々な利用環境(利用状況/媒体/方法)で、製品やサービスを問題なく利用できるレベル」と考えています。 要素毎に少し例を挙げてみましょう。
- 様々な人が利用する
- 小さな子供が、元気な高校生が、体力が落ちてきたおじいちゃんが、目が見えない方が…
- 様々な利用状況で利用する
- 静かで音が出しにくい場所で、うるさくて音が聞こえにくい場所で、急いでいて時間がない時に、傘を指してて片手が使えない中で、真っ暗で周りがよく見えない中で、寒くて手を出したくない時に、料理中で手が汚い時に…
- 様々な利用媒体で利用する
- PCサイトから、スマートフォンアプリから、タブレットアプリから、テレビから、ウェブページを印刷した紙から、プロジェクタで映した画面から…
こう書くと、一見誰でも使えるようにするユニバーサルデザインと似てると思われるかもしれません。
ただ、目指す地点は同じでも取っているアプローチは両者で違うのだろうなと思っています。ユニバーサルデザインが単一の製品・サービスで様々な人・環境への適応を目指すのに対して、アクセシビリティを高める場合はいろんな選択肢を提供することで結果として多くの環境で利用できるようにすることを目指すというアプローチの違いがあると思います。
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