少し前に、長谷川恭久さんのポッドキャストでコンテンツとコンテキストというテーマの話を聞いたので、思ったことを少し書いておきます。

Automagic episode.66「コンテキストは未来。コンテンツは今。」

まず、恭久さんの話を整理しておきますとこういう話です。

私もこの恭久さんの意見に同意です。そして、感情をきちんとコンセプトやUIに落としこむにあたり、まだまだデザインプロセスとして考えていくべき部分があるなと思ったんですね。

背景

それが何かって?えーと、ちょっと話が長くなりますが、まずそう思った背景についてお話ししますね。

私はウェブ制作会社でウェブサービスのUI設計のお仕事をしています。UIは何かユーザの目的を達成するための手段ですので、まず達成したい目的を考えます。当然、お客様を含めて複数人で仕事をしますから、ペルソナ・シナリオだったりユーザエクスペリエンスマップだったり、目的やそれを達成するためのコンセプトが何なのか、共通認識を持つためのツールをよく使います。

その中で、ユーザがサービスの各場面における期待やムードが何なのか整理したりします。 ただ、それがうまくいくこともあればうまくいかないこともある。で、それはどうしてなんだろうなと。

体験を論理だけでなく感情で理解する必要性

恭久さんの話にあった「人間的な感情やムードを理解すること」については、論理的にきちんと整理して理解だけでは不十分なことがあるでしょう。感情は感情としてしか理解できない部分もある

例えば「なんとなくボーッと面白そうな画像を探す」とユーザ行動シナリオに書いてあっても、頭ではわかっても、心としてはわかっていないかもしれません。果たして、仕事もプライベートも真面目で几帳面、時間を効率的に無駄なく使う、という人がPinterestユーザの気分を理解してサービス設計に取り組むことができるでしょうか?

だから、感情をきちんとコンセプトやUIに落としこむにあたり、まだまだデザインプロセスとして考えていくべき部分があるなと書いたのはこういうことです。(もちろんよく経験していて、想像で補える範囲のことも多くあるかと思います)

つまり、自分が体験していない、身体的に理解していない感情・ムードを、サービス上、想定して設計をするのであれば、まず自分がその感情を身体化する必要がある、それをデザインプロセスの中に組み込む必要がある。ということです。

先に書いた、共通認識を作るためのツールを使う場合に、それを作ってしまうことで、これで大丈夫だねーということである種それでサービスをうまく作った気になってしまい、逆説的にサービス設計を阻害する可能性があります(その場合、具体的なコンセプトやUIを作るフェーズで荒れる結果になるんでしょう)

だから、もし、そこに理解していない感情があるのであれば、きちんと理解しないといけない。最近、ドキュメントワークが多いので、自分の仕事を振り返ってそういうことを思ったのですね。

現場近くでのプロトタイピング

もうひとつ付け加えるならば、感情やムードを理解してその上でコンセプト・UI設計作業に望むだけではなく、その作業自体も初めの段階は利用者の現場に近い部分でプロトタイピングをしながら試行錯誤を重ねる必要があるだろうということです。

感情は時を経るに連れ、減衰します。なるべくユーザに近い現場で考え、試し、フィードバックをかけていくことで、本来求めていた精度により近づけていくことができるのかなと思います。 また、それがそもそも今世の中にない体験であればなおさらで、簡単なプロトタイプを作って使い心地を身体化してみる必要があるのでしょうね。

まず、生体験ありき

以前、キッチンからUXデザインを考える―体験して、追体験して、デザインしようという記事中に挙げたスライドで、体験ありき。ともかく、自分自身が体験してみないことにはやろうとしていることの善し悪しがわからないと書きました。

今回、考えたことも同じですね。目指すユーザ体験やコンセプトを整理するツールは便利ですし、必要だと思いますが、それを論理面・感情面の両輪で理解していない部分があるのなら、そこはあまり設計に活きてこないのだろうなと反省しました。

恭久さん、良いポッドキャストをありがとうございました。

smile書き手

このブログは、私(@hashcc)が日々考えていることをまとめて、つなげて、残しておくためのブログです。
関心領域は Webデザイン(特にUXデザインやUIデザイン関連)、食や観光に関する情報環境の整備、情報の可視化、アクセシビリティなどです。

書き手にご興味があれば自己紹介ページで詳細をご確認ください。

commentsコメント

しばらくお待ちください・・