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	<title>Liner Note &#187; 社会語り</title>
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	<description>情報（ユーザー中心デザイン・ユーザビリティ）と技術（ウェブプログラミング・ウェブサービス）についてのメモ書き</description>
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		<title>電子的な、見えないお金やものに対する不安感</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2009/anxiety-about-electric-money/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2009/anxiety-about-electric-money/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 24 Feb 2009 06:44:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会語り]]></category>
		<category><![CDATA[雑多な考察]]></category>

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		<description><![CDATA[電子的なお金やものに対する漠然とした不安感を持った原因をちょっと思い起こしてみました]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>あんまりほったらかしもどうかと思ったんで、さっきふと思った話でも。株とか投資信託の話じゃないですよ。</p>
<p class="right-box"><a href="http://www.dapino-colada.nl"><img src="http://note.openvista.jp/download/2009/02/purse.png" alt="お金のイメージ" title="お金のイメージ" /></a></p>
<p>1年くらい前に、<a href="http://kakaku.com/bb/">価格.com</a>経由でインターネット接続を申し込んだ時のキャッシュバックがあるというので、もらいに行こうかと思ったら、普通為替じゃなくて<a href="http://www.ebank.co.jp/">イーバンク銀行</a>の<a href="http://www.ebank.co.jp/kojin/service/mailmoney/">メルマネ</a>というサービスでもらってくださいということがあったんですね。</p>
<p><a href="http://www.ebank.co.jp/kojin/service/mailmoney/">メルマネ</a>ってのは名前とメールアドレスさえあれば、お金のやり取りが出来るというサービス。電子的に為替のやり取りするみたいなものかな。なるほど、払い手からすればネット接続している人に渡す方法としては楽だし、こういうキャッシュバックをいちいち普通為替でやってると手数料かかるもんね、と思って早速手続きをした…のですが、つまづきました。</p>
<p>NTT回線の名義人が父親名義で、受け取るときもそれでする必要があったみたいなのですけど、間違って自分の名前で受け取っちゃったんですね。当然、受け取り<span class="weaken">（1,5000円くらいだったと思う）</span>は成立せず、<em>払い手に組み戻し</em>になってしまいました<span class="weaken">（一応、払い手のプロバイダに問い合わせてみるも組戻しになってしまったお金は受け取れないとのお返事）</span></p>
<p>まぁ、間違えたのは自分のせいですし、人のせいにするのはあまりいい結果を生まないので可能な限り自重すべきだと思うんですが、とはいえ一回のエラーで取引が不成立になってしまうのはどうなのかなとも思います。携帯電話番号の暗証番号確認もうっかりミスを数回は許容するために、3回くらいまではOKという考えがあるのではと思いますし（これは推測）。</p>
<p>とはいえ、この措置はおそらくセキュリティ的な意図（＝不正な受け取り）があってのことでしょうから致し方ないのかもしれません。また、もしエラー発生後に別の本人確認情報を要請しようにもその情報がメルアドと名前以外ないので<em>仕様上不可能</em>なのでしょう。メルマネはイーバンク銀行口座を持っている者同士でカジュアルな用途にしか使えないなと思ったのですが、まぁその程度なら普通に手で渡せばいいと思うので、たぶん以後は使わないだろうなと。</p>
<p>で、本題。前々から電子的な見えないお金に対する漠然とした不安感はあったんですが、こ一件以来その感じが強まって、EdyやSuicaなどの電子マネーをチャージするにもいつ無くしてもいいように1,000円ずつチャージするようになったんですね。</p>
<p>でも、そうするとチャージしないとお金が足りないという局面が結構増えてきて、便利だけど<span class="weaken">（チャージが）</span>不便、でもまぁ便利だから不便でも使おうかなんてパラドックスに陥ったりします（そういうことを気にしないで済む後払いの<a href="http://www.pitapa.com/merit/index.html">PiTaPa</a>はすごい便利で助かるんですが）。</p>
<p>電子マネーだけではなくて、もともと紙であったものを電子的に置き換えたもの（例えば電子チケットなど）にも同様の印象があります。チケットレスで便利！と言われても、本当に大丈夫かなと一歩引いて見てしまいますし、それ以前に電子手続きって意外と複雑で面倒だったりするのですよね。例えば新幹線の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E4%BA%88%E7%B4%84">エクスプレス予約</a>はeきっぷやらEX-ICやらが混在していて何がなにやらな上、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%BF%91%E9%83%8A%E5%8C%BA%E9%96%93">大都市近郊区間制度</a>などの紙の乗車券にはあった制度が無くなってしまっていますし<span class="weaken">（そういえば、政府が進めているとか言う電子納税はどうなのだろう）</span></p>
<p>確かに電子化はコストダウンにはつながるでしょうし、消費者がその恩恵を受けることもあるのでしょうけど、従来のプロセスにあった確実な安心感、使い勝手の良さを犠牲にしてまで喧伝される「お得」「便利」「簡単」にはそれは違うだろうと思いますね。</p>
<img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=1180&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>広告を使って商品の魅力を納得・実感してもらうことはできるのか</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 20 Nov 2008 18:03:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[ビジネス]]></category>
		<category><![CDATA[暮らし]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>

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		<description><![CDATA[企業主導の広告で果たして生の面白さ・楽しさを実感してもらう（≠伝える）ことはできるのかというのをマリオカートWiiの実況動画を見ていて考えました]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="toc">
<ol>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#t93b79e">オンラインゲームって意外と面白いっぽいぞ</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#ta0f7cd">広告の信頼性と箱庭的広告観</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#tee0ef1">無編集の広告もいれてみては</a></li>
</ol>
</div>
<h3 id="t93b79e">オンラインゲームって意外と面白いっぽいぞ</h3>
<p>最近、はてなブックマーク経由で<a href="http://www.nicovideo.jp/mylist/9054577" title="マイリスト マリオカートWii お緩り実況プレイ‐ニコニコ動画(秋)">ニコニコ動画のマリオカートWii実況動画</a>を見たんですが、結構面白かったです。というのは実況も面白かったんですが、それ以上に我を忘れて<span class="weaken">（特に初期に投稿した動画ほどそんな感じ）</span>楽しそうにプレイしているところが印象深くて面白かったんですね。</p>
<p><em>なんだかあったかけぇな</em>と。オンライン対戦で、ネットゲームへの偏見<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#footnote_0_1024" id="identifier_0_1024" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ネトゲーというと、韓国で子供がネットカフェにこもってネトゲーをしている風景とかが思い浮かぶ">1</a></sup> もあると思うんですが、寂しいイメージがあったんですよね。オンライン対戦中、画面（の向こうの人）に向かってつっこんだりするんだけど、そこには一人しかいなくて‥。ゲームはやっぱり集まってワイワイやらないとつまんないでしょという感じがあったんで、こんなに楽しそうにプレイしている人を見るとちょっとオンライン対戦も面白そうという感じがしてきます。</p>
<p>「大乱闘スマッシュブラザーズX」はマリオカートWiiと同じく任天堂が作っているわけですが、<a href="http://wii.com/jp/articles/smashbros/crv/vol3/index.html" title="Wii.com JP - 社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』">その開発者・桜井さんと任天堂社長・岩田さんとの対談で、同ソフトのフレンド対戦の企画の話をする</a>あたりで、端的に問題と進路が示されてます。先のゲーム観とかぶるところもあって共感しました。</p>
<blockquote cite="http://wii.com/jp/articles/smashbros/crv/vol3/index.html#list" title="Wii.com JP - 社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』">
<dl>
<dt>桜井</dt>
<dd>
<p>そうなんですよね。『スマブラ』のオンラインをやるにあたって、やはり誰しも考えるのが、対戦をして成績がついて、成績によって何かが起こったりとか、オンライン大会を開いたりということだと思うんですけど、正直、それは一部の人が喜ぶだけのサービスになってしまうだろうと。</p>
<p>だって、『スマブラ』って、あるところに小さなコミュニティがあって、そこに上手な人がいて、それでも勝ったり負けたりすることのなかにおもしろさがあるわけで。</p>
<p>それを、みんながただひとつの高い山の頂点を目指すようにすれば、楽しめる人っていうのはごく一部に限られてしまうというのはもう明確ですから。</p>
</dd>
<dt>岩田</dt>
<dd>1位や5位の人は気持ちいいかもしれないけど、「あなたは15398位です」と言われてもね。自分のコミュニティならいちばん強いのに、という人はちっともうれしくないですよね。</dd>
</dl>
<p class="citation"><a href="http://wii.com/jp/articles/smashbros/crv/vol3/index.html#list" title="Wii.com JP - 社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』"><cite>Wii.com JP &#8211; 社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』</cite></a><span class="weaken">（註：表示方法を変えています）</span></p>
</blockquote>
<h3 id="ta0f7cd">広告の信頼性と箱庭的広告観</h3>
<p>と、それで、じゃあ「ネット上に流れているゲーム動画って面白いよね」とかだけ言いたいのではなくて、考えたいのはなぜ僕はこういう楽しさ<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#footnote_1_1024" id="identifier_1_1024" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ユーザ・エクスペリエンスとか換言できそうですが、よく知らないので単にこのように書いておきます">2</a></sup> をCMなどの広告から感じなかったんだろうかと。</p>
<p>えっと、私はWiiを持っていて、ニンテンドーチャンネルで<a href="http://wii.com/jp/">体験動画</a>（プレイ動画）とかを見ていたりするんですよ、でもオンライン対戦したいと思ったことはありません。むしろ<q>強者のための場所</q>という怖いイメージは強かったし、今でも多少あります。</p>
<p>で、これは小さな問題が1つと、それより大きな問題が1つで、2つ問題があると思うんです。</p>
<p>まず、前者は<em>体験動画にオンラインプレイをしている動画がない</em>こと。だから、任天堂はネットプレイってこういう感じで面白いよ!っていうことを伝えられていないんじゃないかなと。となると、やっぱりあくまで一緒に集まってプレイするのが基本で、オンラインプレイは「それもできますよ」という感じで、何が面白いのかよくわからないんです。</p>
<p>ただ、オンラインプレイの楽しさを伝えるにも、まずゲームそのものの面白さを伝えてからだろと思うので、そう考えると優先順位付け<span class="weaken">（ゲーム人口の拡大へ）</span>の問題で、これはそう大きな問題ではないかなと。</p>
<p>後者の問題についてですが、これはゲームに限らずの話で、要するに企業の発するメッセージ（広告）への信頼性が落ちているので、<em>企業が発する面白さ・楽しさが素直に信用できなくなっている</em>のではないかということです。それはつまり、テレビショッピングで商品をべた褒めする出演者たちを見ていて「へぇ、面白い（すごい）ね。でも、それってこの人達の作られた<em>箱庭での面白さ</em>（すごさ）でしょ。実際のところは私にはあんまり合わないかもしれない。だって、その箱庭も売るために用意してるんだよね」とちょっとうがった感じで捉えるのと似ています。</p>
<div class="aside">
<p>えーと、ちなみに、広告の信頼性ってほんとに落ちてるのか、ということですが、<a href="http://pdf.openvista.jp/view/large/p4-7/http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-06_15166.pdf" title="PDFリーダ（BUNGA76Y-06_15166.pdf）">日本広告業協会が1993年と2000年に消費者に行ったアンケート調査</a>によると、広告の機能として何が求められるのかという質問に対して、両年の調査を比較すると93年は販売促進といういわば売るためのプロモーション機能が求められていたのに対して、00年では社会との関係構築というコミュニケーション機能が求められているという傾向が出たとのことです。</p>
<p>これは、今の広告には<span class="weaken">（93年では求められていた）</span>売るための機能ばっかりで、会社と消費者との信頼性を担保する機能がないじゃないかという問題意識から出た結果ではないでしょうか。雪印や三菱自動車、食品偽装<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#footnote_2_1024" id="identifier_2_1024" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="といっても最近の食の安全報道を巡る「不祥事」云々は、エコ「ブーム」が油を注いでいるかと思うくらい、ややヒステリックすぎるのではないかと思いますが">3</a></sup> など企業の不祥事が相次ぎ、企業のメッセージを信用することが難しくなったという背景から、この結論を補強することもできるでしょう。</p>
</div>
<p>以前にも、<a href="http://note.openvista.jp/2008/communication-induced-adv/" title="ウェブ広告の行き着く先って単なるROIの向上でしかないのだろうかー広告としての人">広告って単に物を売るためにあれこれアピール合戦をするだけで、購入後のコミュニケーション（=第二の商品価値）までフォローしないよね</a>と似たようなことを書きましたが、やっぱりそれは<em>無責任</em>だと思うんです。「勧めるだけ勧めて、それを楽しめるかどうかはあなた次第ですよ、かよ」と。</p>
<p>で、この無責任さを任天堂は地で行っているのかというとそうではなくて、むしろ任天堂の広告を見ていると、この<em>広告が持つ無責任さを全力で乗り越えようとしている</em>んではないかという感じすら受けるんです。</p>
<p>たとえば、先ほどの<a href="http://wii.com/jp/" title="Wii.com JP">体験映像</a>のように、ゲーム画面を見せるのではなく、実際に<em>ゲームをつまみにして家族が楽しんでいる様子</em>を写したり、WiiFitをダイエットツールの一つとして見せるのではなく、WiiFitで楽しみながら知らぬ間に健康管理をしているお姉さんとかおじいちゃんとかのプロセスを見せているんです。つまり、購入後のコミュニケーションフォローは行えなくとも、「購入後実際にこんな感じに生活の中に入りこんでますよ、こんな風景あなたのお茶の間にどうですか」というところまで提案してくれているのですが、これはなかなか良心的だと思います。実際にはそこまで具体的なおもしろみがないのに、繰り返し宣伝することで抽象的な<span class="weaken">（かっこいいとか便利だとか）</span>商品感だけ頭に残してもらおうという広告はたくさんありますから。</p>
<p>で、こうやって比較的頑張っているにもかかわらず、どうして「なぜ僕はこういう楽しさをCMなどの広告から感じなかったんだろうか」ということを考えると、それはやはりそれでも企業としての箱庭的な印象を拭いきれなかったからだと思います。ただ、最初のマリオカートWiiの実況動画を見て、僕は楽しいと感じたし、一緒にやってみたいなと思ったんです。</p>
<p>それで、このとき、両者はどう違うのか。それはいかにも15秒,30秒の枠で練りに練られてできた理想像ではなくて、生の、あたかも隣に動画のアップロード主がプレイしていて、それを見ているうちに面白さがわかって欲しくなる、という<em>体験した感覚</em><span class="weaken">（友達の家でゲームを体験したような感覚）</span>、<em>それがあるかないか</em>ではないかと思うのです。</p>
<h3 id="tee0ef1">無編集の広告もいれてみては</h3>
<p>編集された広告はあっていいと思いますし、製品の特長を端的に伝えるためにも欠かせない物だとは思います。が、それだけではなくもっと無編集の広告も入れていく方がよいと思うのです。</p>
<p>これは<a href="http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&amp;pg=20080525">徹子の部屋が無編集であるからこそ、ゲストに信頼される</a>というのと似たようなことだと思うんですが、<em>いいところも悪いところも包み隠さず、生の面白さ・いたらなさ・楽しみ方を見せる</em>方がより消費者に正確に商品像を伝えられて、購入後の消費者の満足感・納得感が得られるんではないでしょうか、それは長期的に企業自身のブランドともなるはずです<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/experiencible-advertise/#footnote_3_1024" id="identifier_3_1024" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="それがない商品はそもそものデザインに対する考え方からしてどうかと思うので論外ですし、こことは全く逆の手法を取るでしょう">4</a></sup> 。</p>
<p>ただ、ここで難しいのは、それを企業主導でやってしまうと、その広告自体が無編集という編集テープに見えてしまうのではないかということで、単純にブログマーケティングとか購入者の使ってみたレポートサイトを立ち上げるとかでは解決できなさそうだということですね。んー、そうなると広告には期待できないんじゃ‥というところからどうにも抜け出せそうにないですね。</p>
<p>ここまで長文につきあってもらってありがとうございます。なにか思うところがあればコメントしていってください。</p>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_1024" class="footnote">ネトゲーというと、韓国で子供がネットカフェにこもってネトゲーをしている風景とかが思い浮かぶ</li><li id="footnote_1_1024" class="footnote">ユーザ・エクスペリエンスとか換言できそうですが、よく知らないので単にこのように書いておきます</li><li id="footnote_2_1024" class="footnote">といっても最近の食の安全報道を巡る「不祥事」云々は、エコ「ブーム」が油を注いでいるかと思うくらい、ややヒステリックすぎるのではないかと思いますが</li><li id="footnote_3_1024" class="footnote">それがない商品は<a href="http://gitanez.seesaa.net/article/70974095.html">そもそものデザインに対する考え方</a>からしてどうかと思うので論外ですし、こことは全く逆の手法を取るでしょう</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=1024&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>あるべきOPACのビジョンを決める：Making OPAC 2.0</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2008 22:00:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウェブサービスの制作]]></category>
		<category><![CDATA[ウェブサービス論]]></category>
		<category><![CDATA[ユーザビリティ]]></category>
		<category><![CDATA[図書館]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/?p=767</guid>
		<description><![CDATA[あるべき大学図書館の蔵書検索システムについて、現在ある問題をどういう風に解決して、それを使うことでどういう生活を実現したいのかということを書きました]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="toc">
<ol>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#t01f493">目指すところは本のGoogle先生</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#t4a4129">OPACの問題点</a>
<ol>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#tbe7fa4">なぜOPACを問題にするのかーなぜ本を読むとよいのか</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#te5606a">OPACのどこが問題か</a></li>
</ol>
</li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#t6157e9">プロジェクト定義</a></li>
</ol>
</div>
<p><amazon>9784797347104, caption</amazon></p>
<p>ご無沙汰になってしまいましたが、図書館の蔵書検索システムの話。<a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-next-generation-opac/">次世代OPACってなんだろう</a>という記事では、次世代OPACの機能要件を全集合として幾多挙げてみたのですが、もちろんこれを全部実装するというわけにはいきませんし、できません。</p>
<p>まず、そうした機能要件から出発するのではなく、現在のOPACの問題でどう解決したいかということをきちんと決めておかないといけません。このデザイン活動における問題の定義について、棚橋さんは『<a href="http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4797347104/ref=nosim/openvista-22">ペルソナ作って、それからどうするの?</a>』の中で、次のように書いています（p188-192.）。</p>
<ol>
<li>問題を発見し、それを解決することがデザイン活動の意義である以上、全てのデザインは問題を発見（=定義）することから始まる</li>
<li>ユーザビリティやユーザエクスペリエンスなど、ユーザ中心視点でデザインを行いたいならば、当然その問題も<span class="weaken">（資料請求数を増やすなどの）</span>ビジネス視点ではなく、ユーザ視点<span class="weaken">（=ユーザにとっての有用性<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_0_767" id="identifier_0_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ヤコブ・ニールセンのSmall usabilityに対置されるところのutility">1</a></sup> ）</span>で定義される必要がある</li>
<li>ユーザ視点で問題を定義するならば、当然問題はユーザの現実の生活や仕事の現場から見いださなくてはならない。</li>
<li>問題をどう定義するかは、哲学の問題。哲学とは人々の暮らしや仕事がどうあればよいか、どうあるのが望ましいか（=あるべき姿）についての考え。ユーザ視点での問題の定義にはこの哲学が必要となる。</li>
<li>このあるべき姿と今ある現実とのギャップを把握し、そのギャップを埋めるために必要となる具体策がビジョンとなる</li>
</ol>
<p>というわけで、前の記事とやや繰り返しのようになるところがあるかもしれませんが、私の考える「あるべき姿」を書いておきたいと思います。</p>
<h3 id="t01f493">目指すところは本のGoogle先生</h3>
<p>私達は本を探す手段はたくさん用意されています。つまり、地元の本屋さんや公共図書館、大学図書館、あるいはネット上の書店などいろんなところで本を手に入れることが出来るわけです。そして、そのいずれにおいても<span class="weaken">（部分的ではあるけども）</span>ネット上で在庫の有無が調べられるようになっています。</p>
<p>今は人間がOPACを探して在庫を調べたり、実際に足を運んでみたりして探しているわけだけど、これを機械が自動的に調べてくれればもっと早く目的の本が手に入れられるようになるのではないでしょうか。</p>
<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/09/library-and-google.png" alt="図書館とGoogle" title="図書館とGoogle" /></p>
<p>求めている本の場合だけであればそれはちょっとしたスピードアップですが、それだけではなくて<em>現実の書店で本を探しているときに得られる発見</em>、「あれ、こんな本も出てるんだ、どんなのだろ」とか「これ知らなかったけど意外と良い本かも」といったような<em>検索志向だと見つからない発見も一緒に得られるような本のナビゲータ</em>、今風に言うなら本のGoogle先生<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_1_767" id="identifier_1_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="正確には目的としているものは雑誌かもしれないので文献のGoogle先生と言わないといけないんですが、響きで萎えちゃいます">2</a></sup> を作りたいと思っています。</p>
<p>本屋や図書館を足で回っていると前者のスピードはどうしても落ちてしまいますが先のように道草を食いながらの新たな発見があります。一方でオンラインでの本の検索では求めている本は瞬時に出せるけど、頭の中にある本以外は出てこないと言ったような<span class="weaken">（目先の効率性と発想力との）</span>トレードオフの問題が出てきます。</p>
<p>この両者をできるだけ犠牲にしないような「効率的な」<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_2_767" id="identifier_2_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="効率的とは早く目的の知識を探すことでは必ずしもないでしょう">3</a></sup> 本のナビゲータで、みなさんの血肉となっていくような（みなさんそれぞれの）よい本を見つけていってほしいと考えています。まとめて「よい読書生活をおくるためのツール」と言ってしまうとちょっと曖昧模糊となっちゃいますね。</p>
<h3 id="t4a4129">OPACの問題点</h3>
<h4 id="tbe7fa4">なぜOPACを問題にするのかーなぜ本を読むとよいのか</h4>
<p>はい。で、このあるべき姿を書いた次に、どうして大学図書館のOPACに焦点を当てるのか。それはもっと私が大学が本を読むいい機会だと考えていて、そのために<em>大学図書館のOPACをより便利なツールにしたい</em>と考えているからです。以下、少し長々とした理由になるので読みたい方は読んでください。</p>
<p>まず、大学というのは社会人になる一歩手前のモラトリアンが社会に対しての考えを固めるよい機会だと思います<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_3_767" id="identifier_3_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="というのは大学を持ち上げすぎかもしれませんが、少なくとも私にとって大学以前と以後での社会観は大きく変わりました">4</a></sup> 。高校までが正解探しゲームであるなら、大学以降は自分という文脈と目の前の問題から答え≠正解を導き出すことで自分の考えと考え方を固めていく時と行えるのではないかと思います。</p>
<p>しかし、<a href="http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2008/0809-1.html">NHKでも取り上げられた</a>レポートコピペ問題<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_4_767" id="identifier_4_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="特集自体はあまりいいものとは思えませんでしたが">5</a></sup> を見るにつけ、考えること=面倒くさいという風潮が流布しているようにも思えます。</p>
<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/09/cross-point.png" alt="光の交差" title="光が重なったところに新たな色が生まれるように、視点を組み合わせたところに新たな発見が生まれるわけです" /></p>
<p>考えるというのは確かに頭が疲れるという意味では面倒なことかもしれませんが、例えば考えること以外にもスポーツを続ける内にその上達のコツを発見したり、友達と映画を見た後に感想を話していると隠れた演出の意図を発見して感心したりと、新たに何かを発見することはなかなか面白いことです。ただ、その発見も<a href="http://gitanez.seesaa.net/article/77446131.html">記憶の引き出しがなければなかなか得にくい</a>ものです。</p>
<p>引き出しを増やすと言う意味では、ウェブにはいろんな知識が転がっています。が、それこそ同じ物が入っている引き出しを何度もつけてしまったり、引き出しがあっても中身がなかったりと広く引き出しを付けていくには向いていないかもしれません。一方で本を読むというのも一つの手段です。精神論や既知の事しか書いていない本でなければ、しっかりとした引き出しを作るよい手段になります。</p>
<p>えーと、読書に関する授業の小レポート<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_5_767" id="identifier_5_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="コピペする人はこのブログのライセンスに従って、URLを入れておいてくださいね">6</a></sup> のようですが、要するに最初に言ったように本を読むためにもっとOPACが便利になったらいいなと言うことです。</p>
<h4 id="te5606a">OPACのどこが問題か</h4>
<p>私が問題だと思っている点は主に3つあります。</p>
<ol>
<li>検索が大学図書館内に閉じていること</li>
<li>検索結果に工夫が足りないこと</li>
<li>他のデータベースとのつながりが見られないこと</li>
</ol>
<p>まず1つにOPACが大学図書館内に閉じているというところです。未所蔵の場合、情報学研究所のデータベース（NACSIS Webcat）を使って他大学の所蔵を検索することは出来ますが、それも大学図書館に閉じています。利用者は図書館で入手したいのではなく、<em>本が入手できればよい</em>のですから、公共図書館や他の書店などにも<a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-next-generation-opac/#t734c51">手を伸ばしていくという方策</a>は当然考えられるはずです。</p>
<p class="information">考え方としては<a href="http://note.openvista.jp/2008/mediation-for-user-satisfaction/">誰がではなく、利用者の問題を解決することが第一</a>というのが元になっています</p>
<p>次に検索結果の表示にあまり工夫が見られないことです。私が一般の大学生をターゲットにして行った調査では、数多くの大学生は検索結果から目的の本をリストアップする過程において、<em>過去数年間に発行された資料・ページ数が厚すぎない資料を重点的にリストアップ</em>し、それ以外の資料を除外する傾向が見られます。それはそうした古い本はせっかくまとめられた内容も古く、現在にそぐわないこと<span class="weaken">（今では既に自明のことが扱われているなど）</span>があるからです。検索効率<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_6_767" id="identifier_6_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="もちろん効率が全てではありませんが">7</a></sup> を考えれば、読まれやすい本を上位に置いておくほうがよいでしょう<span class="weaken">（ちなみにこれ以外にも数多くの共通した検索行動やそれを裏打ちする心理が観察できるのですが、それはまた別の機会に）</span></p>
<p>3つめに問題だと思うのは新聞・雑誌記事データベースなどの大学生だからこそ使える有用なデータベースとのつながりがほとんど皆無であることです。例えば、比較的勉強方法に熟達している大学生を調査してみると、新しくまだ本にまとめられていないトピックについてはOPACにかけても検索結果が乏しいので代わりに雑誌・新聞記事データベースを使うといった<em>適材適所の使い分け</em>をうまく行っているのですが、そうしたデータベースの存在を知らず、右往左往している大学生が多くいるのもまた事実でした。そうしたデータベースを知らずとも、多くの学生はOPACは使うのですから、こういう問題は<em>OPACの設計次第で解決可能</em>なものです。ですから、「図書館利用教育」とか「情報リテラシー教育」という名目で曖昧にするのは危険なことだと感じます。</p>
<p>そして、先に書きましたが検索志向ゆえにおこる閉じた探索方法こそが第4の問題です。</p>
<p>さて、ここまで書いて気づいたのですが、OPACというのはOnline Public Access Catalogの略、すなわちオンライン公共蔵書目録のことです。私が蔵書に限らず、利用者の求めたい、求めているはずの本を見つける検索エンジンを志向するのならば、<em>それはもはやOPACではない</em>はずです（適した資料が図書館にあるとは限りませんから）。これからはOPAC 2.0などと流行言葉を使わず、本の検索エンジンと言ってしまった方がいいのかもしれませんね。</p>
<h3 id="t6157e9">プロジェクト定義</h3>
<p>さて、今回考えたことを、最後に先に挙げた棚橋さんの本の中で挙げられているプロジェクト定義書の例（p.198.）に従って、まとまったドキュメントにしておこうと思います（ちょっと論文調になりますよ）</p>
<dl>
<dt>プロジェクトの目的（哲学）</dt>
<dd>
<p>大学生が本の探索する過程においては、様々な問題が存在する。特に学生の資料検索の中心になっているであろうOPACには、ウェブ上の検索エンジンが日々改良されるのとは対照的に多くの課題が伺える。</p>
<p>具体的な問題の検討に移ろう。まず第一に検索の範囲は文字通り当該図書館内あるいは他の大学図書館になっているのだが、実際には本は書店など様々なところでも入手可能であり、彼らの情報探索ニーズを掴み損ねる危険性がある。第二に彼らの検索行動には新しく出版された本を重視するなど一定の行動パターンが観察できるが、現在のOPACには検索結果にはそうした工夫が活かされていないものが多い。第三に雑誌・新聞記事など大学では実際の資料にアクセスできる貴重なデータベースと接続しているだが、それは「使い分け」を知らない学生には手が届いていない現状があり、OPAC側での工夫が求められる。最後に現在のキーワード型検索自体の問題点として、指定したキーワードに関連した資料を得ることが難しく<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/#footnote_7_767" id="identifier_7_767" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="引用文献を根掘り葉掘り辿っていくなどある程度リテラシーのある学生においてはこの限りではないが、そうしたリテラシー教育をこの研究では前提にしない">8</a></sup> 、情報探索の視点を広げていくような提案が必要である。</p>
<p>私はOPACのあるべき姿として、これらの問題を解決し、図書館に限らず目的としているような資料を効率的に探す手段にしたいと考えている。それにより、より時間を資料の検討に割いてもらい、彼らの血肉となるような本をより多く消化していってもらえるのではないかと考えている。</p>
<p>なお、このOPACは決して「勉強専用」のものではなく、小説やライトノベルなど広く彼らの読書生活をサポートするツールにしたいと考えている。</p>
</dd>
<dt>プロジェクトのゴール（ビジョン）</dt>
<dd>
<p>先に書いたように、OPACが脱OPAC<span class="weaken">（脱館内所蔵検索）</span>を志向しているならば当該図書館の本の貸し出し冊数や来館者数の増減でその成果を図ることは難しい。また、OPACへアクセスしたユニークユーザ数も比較する基準がなく、同様に難しく、仮に設定しても裏付けの薄い数値となり目安として意味のあるものとなるかは疑問である。</p>
<p>そこで今回は、幾人かに実際に課題を課した上で資料調査の手段としてOPACを使ってもらい、その場合と従来のOPACを用いた場合とを相互に主観的定量化を行ってもらう。そして、その値が従来のOPACを上回っているという条件をこのプロジェクトのひとまずのゴールとしたい。期間の都合上、正式な計測は難しいが、継続的に利用状況を伺っていきたいとも思っている。</p>
</dd>
<dt>ターゲットユーザ</dt>
<dd>
<p>大学生から大学院生。特にまだ図書館やOPACに比較的不慣れな大学1-2回生をより重視したい。</p>
<p>まず大学1-2回生の想定ユーザ像について。彼らは初年次教育によりレポートの書き方や調べ方など基礎的な図書館利用教育を受けているとは思うが、実際にはまだ数本のレポートをこなしたり、授業の参考にするためにOPACをたまに利用する程度であろう。よって、基礎的なOPACの使い方は習熟しているが、データベースの使い分けなどはまだ難しく、時にGoogleやYahoo!などの一般の検索エンジンを頼ってしまい、考えがなかなか深まらないことも多いと思われる。</p>
<p>次に大学3-4回生の想定ユーザ像について。演習科目などをこなす日々が続き、指導教授からの指導やまた蔵書検索での限界も感じていたこともあり、論文・雑誌記事データベースを使う癖が徐々に身についていくと考えられる。3回生がサークルの執行を行うところもあり、また就職活動も3回生の秋口から冬にかけて本格化することから、3-4回生の中頃においては本を読む機会が限られていくことが考えられる。逆に4回生は順調に就職活動を終えた者、および卒業論文制作を本格化する者が増えることから本を読む機会が増えていくものと考えられる。</p>
<p>最後に大学院生の想定ユーザ像について。大学教授にも共通することだが、その研究分野の棚に並んでいる本や著者は大方把握しており、OPACを書籍検索ツールとしてだけでなく、新しい本があるか検索するツールとしても利用していると考えられる。論文・新聞記事データベースは日常的に利用しているが、研究分野に従って特定のデータベースに偏っていることも考えられる。教授などから薦められた本を借りることが多い。</p>
</dd>
<dt>実現の方法</dt>
<dd>
<p>OPACのUIの開発および全国の図書館・書店を網羅するデータベース制作作業をPHP言語によって行う。その際、効率的な開発のためにフレームワークとして<a href="http://cakephp.jp/modules/newbb/">CakePHP</a>を採用する。</p>
<p>近隣の図書館蔵書の検索には<a href="http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/equalTop.html">Webcat Plus 一致検索</a>および独自に開発した図書館データベースを、書店の在庫検索には<a href="http://note.openvista.jp/2007/bookstore-stock-check/">書店在庫検索サービス</a>を利用する。また、発見を得るためには<a href="http://webcatplus-international.nii.ac.jp/assoc.cgi">Webcat Plus 連想検索</a>などの連想検索結果や<a href="http://imagine.bookmap.info/imagine">想-IMAGINE Book Search</a>などの複数の検索結果を比較検討する手法を検討したい。</p>
</dd>
<dt>制約条件</dt>
<dd>期間の都合上、実際のOPACシステムを作ることはできないので、OPACシステムを利用するUI部分を設計することになる</dd>
</dl>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_767" class="footnote">ヤコブ・ニールセンのSmall usabilityに対置されるところのutility</li><li id="footnote_1_767" class="footnote">正確には目的としているものは雑誌かもしれないので文献のGoogle先生と言わないといけないんですが、響きで萎えちゃいます</li><li id="footnote_2_767" class="footnote">効率的とは早く目的の知識を探すことでは必ずしもないでしょう</li><li id="footnote_3_767" class="footnote">というのは大学を持ち上げすぎかもしれませんが、少なくとも私にとって大学以前と以後での社会観は大きく変わりました</li><li id="footnote_4_767" class="footnote"><a href="http://memo.openvista.jp/post/48256909">特集自体はあまりいいものとは思えません</a>でしたが</li><li id="footnote_5_767" class="footnote">コピペする人はこのブログのライセンスに従って、URLを入れておいてくださいね</li><li id="footnote_6_767" class="footnote">もちろん効率が全てではありませんが</li><li id="footnote_7_767" class="footnote">引用文献を根掘り葉掘り辿っていくなどある程度リテラシーのある学生においてはこの限りではないが、そうしたリテラシー教育をこの研究では前提にしない</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=767&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://note.openvista.jp/2008/new-opac-vision/feed/</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>ネットで手に入れられる物が増えた中でリアルに触れる意義ってなんだろう</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 12 Mar 2008 06:11:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウェブサービス論]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/261/</guid>
		<description><![CDATA[ネットでいろんな物が手にはいるようになった。じゃあ、そこで対談を聴きに行ったり、本を注文して読んだり、ラジオをわざわざリアルタイムで聞いたりする意味ってなによって言うことを考えた話]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/11/01/9705.html" title="Amazon.co.jp、書籍の全文検索サービス開始～中身の“立ち読み”も可能">Amazon なか見検索</a>やら<a href="http://books.google.co.jp/" title="Google ブック検索">Google ブック検索</a>やらと、今までアナログでしか見られなかった物がウェブの世界にどんどん出てくるようになってくると、もうウェブで十分なんじゃないかとも思えてくるのです<span class="weaken">（もちろん、まだまだの部分もたくさんあるわけですが）</span>。</p>
<p>例えば、対談なんかは一昔前はそれこそ東京に行かないと聴けなかったし、ラジオもご当地でしか聴けなかったわけですけど、<a href="http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20080310/1205190291" title="本日対談イベント＋ポッドキャストのお知らせ - Tech Mom from Silicon Valley">昨日やった対談が少しのラグでPodcastされた</a>り、<a href="http://www.tbsradio.jp/life/" title="TBS RADIO 文化系トークラジオ Life">ラジオもPodcastされた</a>りしているわけです。</p>
<p>でも、じゃあPodcastを聴かずに、<em>わざわざお金や時間的コストをかけて対談を聴きに行くメリットって何よ</em>？とか思うわけです。</p>
<table>
<thead>
<tr>
<th>ネット（電子媒体・インターネット）</th>
<th>鑑賞対象物</th>
<th>リアル</th>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<td>バーチャルミュージアム</td>
<th>←<em>美術作品</em>→</th>
<td>美術館</td>
</tr>
<tr>
<td>eBook</td>
<th>←<em>テキスト</em>→</th>
<td>紙の書籍</td>
</tr>
<tr>
<td>インターネット上のニュース</td>
<th>←<em>ニュース</em>→</th>
<td>新聞</td>
</tr>
<tr>
<td>Podcast</td>
<th>←<em>コミュニケーション</em>→</th>
<td>生対談や生放送のラジオ</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>同じような疑問は最近友人と某美術館に行ったときも感じていて、「例えば<a href="http://images.google.com/images?q=monarisa" title="monarisa - Google イメージ検索">モナリザなんかの有名な絵画なんかは既にネットで見られるわけ</a>。なのになんで美術館にわざわざ行くのかな」とかを話していて、そこでの話とかもふまえると、あえてそうする意義は以下の3点くらいにまとめられるのかなと思いました。</p>
<ol>
<li>リアルだと現実の物をより正確に捉えられるから</li>
<li>リアルタイム性があり、そこにコミュニケーションが生まれるから</li>
<li>コストをかけることによって、作品に向き合うモチベーションが上がるから</li>
</ol>
<p>一つずつ考えていきましょう。</p>
<div class="toc">
<ol>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/#t8e5b95">リアルだと現実の物をより正確に捉えられるから</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/#t664906">リアルタイム性があり、そこにコミュニケーションが生まれるから</a></li>
<li><a href="http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/#tbc4d87">コストをかけることによって、作品に向き合うモチベーションが上がるから</a></li>
</ol>
</div>
<h3 id="t8e5b95">リアルだと現実の物をより正確に捉えられるから</h3>
<p>これはメディアの技術的な制限によるところが大きいです。</p>
<p>つまり、ネットを介すると作品の大きさ・立体物であればその造形は<em>正確には表せません</em>し、またネットは視覚中心のメディアですから、<em>嗅覚・触覚などの感覚によるフィードバックは図れない</em>ことになります。</p>
<p><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/okamoto.png" width="304" height="123" alt="岡本太郎「明日の神話」" /></p>
<p>例えば、<a href="http://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html" title="岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルページ [Hobo Nikkan Itoi Shinbun Partnership]">岡本太郎氏の明日の神話をネットで見る</a>のと、<a href="http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2007/05/06113432/" title="Internet Zone::WordPressでBlog生活 » 東京都現代美術館 デュマス展&amp;岡本太郎「明日の神話」">実際に足を運んでみて鑑賞する</a>のとでは、また違った感想が得られるでしょう。</p>
<p>そして、場の雰囲気も作品を鑑賞する上では、重要な要素ではないかと思います。星は田舎の夜空で見るのが一番よく見えるのと同様に、作品が置かれている環境において<em>一番よく理解できる</em>ように整えられているのかもしれません。つまり、モナリザなんかの例はそうですが、これらは物ではなく体験を消費しているのであって、そのためにベストな体験を消費するために美術館に行くのだと考えればすっきりします。</p>
<p>また、ネット上の文章は<a href="http://www.useit.com/alertbox/9710a.html" title="Reading on the Web (Alertbox)">読まれるのではなく、スキャンされるのだというレポート</a>もあります。これはメディア特性だと思いますが、本文を一語一語じっくり追っていきたいという読者には、eBookではなく紙の本と棲み分けしているのかもしれません。</p>
<p>では、可読性があがればよいのかというとそうではない気がします。それは<a href="http://note.openvista.jp/225/" title="Liner Note - AmazonのKindleは電子ブックリーダのスタンダードになるのか">Amazon Kindleを考察したときにも書いた</a>けど、紙をめくりながら、時には考え、また読み進める。美術館と同様の話ですが、こうした体験の演出は電子ブック媒体がスペック上進化してもなかなか追いつけない点でしょう。</p>
<h3 id="t664906">リアルタイム性があり、そこにコミュニケーションが生まれるから</h3>
<p>リアルで鑑賞できる物をリアルタイム的だというのも変な話かもしれませんが、ネットのメディア特性から生じる問題だと思います。</p>
<p>まず、いくらネットで手に入る物は増えたと言っても、即行で手にはいるわけではなく、入手までにいくらかのラグがあることが多いですよね。また、ネットでは公開しないという物もたくさんあるでしょう。ですから、話題ができて、公開日が決まったときにそれと同時期に鑑賞すると言うことは難しくなります。</p>
<p>また、ネットというのは<em>パーソナルなメディアであり、非同期的なメディア</em>です。お茶の間にあるテレビをつけて、みんなで見ること（同期的メディア）はあっても、ネットをお茶の間のテレビでみんなで楽しむことは少ないでしょう。</p>
<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/nicovideo.png" width="200" height="123" alt="ニコニコ動画" /></p>
<p>それと同様に、バーチャルミュージアムやPodcastはパーソナル・非同期的に消費されるために、直接的にそれを通じてコミュニケーションが行われることはありません。一方で、リアルの美術館や生対談は<span class="weaken">（連れと一緒に鑑賞することは少ないかもしれませんが）</span>、鑑賞後にそれらを媒介としてコミュニケーション<span class="weaken">（あの作品の感想やら）</span>が行われるでしょう。これはリアルのリアルタイム性あっての事ではないかなと思います。</p>
<p>最近、<a href="http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080213/1202912821" title="ニコニコ動画が日本の政治を変えるかもしんない。 - teruyastarはかく語りき">ニコニコ動画で共産党の国会質疑があがって、それが話題になりました</a>が、これは<a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0711/23/news005.html" title="なぜ「ニコ動」は盛り上がり、「Second Life」は過疎化するのか (1/2) - ITmedia News">ニコニコ動画の擬似同期性</a>によって、まるで同じ場でその国会質疑を聴いているような体験を共有できたことがその盛り上がりの一因だとも言えるでしょう。</p>
<p>よってネットの中でも、対談・講演などはこうした擬似同期的メディアで満足だから必要ないという方もいるのではないでしょうか<span class="weaken">（あくまでこの視点に立った上でのことであって、別の視点からは必要と言うこともできます）</span></p>
<h3 id="tbc4d87">コストをかけることによって、作品に向き合うモチベーションが上がるから</h3>
<p><em>身銭を切ることでその作品に対して向き合う姿勢が変わるんじゃないか</em>とする仮説です。もちろん、この場合の「身銭」は金銭的コストだけではなく、その場に足を運ぶための諸々の時間的・経済的コストなども含めてのことです。</p>
<p>どういうことかというと、ネットではあまりに簡単に作品を鑑賞できるが故に鑑賞したという気が起きない。逆にそうした<em>コストを払うことで「苦労したのだから見ようという」意欲が刺激される</em>のではないか。という背景があるのではないかということです。</p>
<p>ちょうどコレを書いて思い出したのが、ドラえもんの「苦労みそ」のお話。これは、何をするにもえらく苦労することになる道具を使ったことで、たかがホットケーキを食うだけでもしんどい思いをすることになったのだけど、その甲斐あってその成果<span class="weaken">（＝ホットケーキ）</span>が一段いいように感じられる用になったという話でした。YouTubeにも流れてます。</p>
<dl class="video" id="video-zOWz2ymHaSE">
<dt style="width:348px;"><a href="http://www.youtube.com/watch?v=zOWz2ymHaSE&amp;fmt=18">ドラえもん「苦労みそばなし」</a></dt>
<dd style="height:378px;"><object data="http://www.youtube.com/v/zOWz2ymHaSE&amp;hl&amp;ap=%2526fmt%3D18" type="application/x-shockwave-flash" width="460" height="378"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/zOWz2ymHaSE&amp;hl&amp;ap=%2526fmt%3D18" /><param name="allowfullscreen" value="true" /></object></dd>
</dl>
<p>私はいろいろな要因があるのだけど、これが<em>一番大きい理由</em>なんじゃないかなと思っています。というのは確かにネットは便利です。そしてこれからもどんどん便利になっていくでしょう。</p>
<p>しかし、便利になった、つまり入手コストが低くなった反面、それを得て活用しようというモチベーションも減ったのではないかなと思うからです。それは、はてなブックマークの「あとで読む」タグにも象徴的な気がします。</p>
<p>人が何かに接する時にそこから何を得るかは、結局は当人の姿勢次第なのであって、プレゼントのように「ハイ、コレ」と誰かが渡してくれるわけではありません。また、そこにコストをかける必要があると言うことは、そこにアクセスできる人が限られていると言うことです。これはつまり、先のモチベーション論と併せてそれがその人の体験として他人とコミュニケーションをする上でネタにしやすいという面があることを意味しています。</p>
<p>このいささか逆説的な結論をふまえるなら、ネットサービスを提供する上で<span class="weaken">（その対象は何であれ）</span><em>ユーザのモチベーションをどのようにして上げていくか</em>という視点を持っておかないといけないということも思いますね。</p>
<img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=374&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://note.openvista.jp/2008/internet-and-real/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>過去に持った関心（1）：教養ってなんだろ？</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 10 Mar 2008 18:25:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[書籍・製品レビュー]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>
		<category><![CDATA[自己語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/260/</guid>
		<description><![CDATA[大学で考察してきた中で得た私の「教養観」を書いてみます]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ここでは<a href="http://note.openvista.jp/profile/#t70ec33" title="Liner Note - 私とこのサイトのプロフィール">プロフィールに書いてある過去に持った関心</a>をちょっと掘り下げて書いておこうと思います。最近このブログの主旨からすれば、ちと毛色の違うエントリも出してきていますが、就活中ゆえということで。</p>
<p>さて、「教養って何？」というのは、私が大学二回生<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/#footnote_0_368" id="identifier_0_368" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="関西では1年生を1回生と呼びます">1</a></sup> に考えたテーマです。なんとなく大学に行くと教養がつくのかなぁ、とピカピカの大学1回生の頃によく思ったものでした。最初の頃には授業にそれを求めていましたが、かなわぬ事でした。それで、教養って何なのかなって思ったのがきっかけでした。</p>
<h3 id="tbf8e96">浅羽道明氏の教養論から</h3>
<p><amazon>4344000307, caption</amazon></p>
<p>教養っていろんな解釈があって、これは別にそうやっていろんな解釈があっていいと思います<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/#footnote_1_368" id="identifier_1_368" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="これから書く話も何が教養かというファクト（事実）ではなく、どの教養論が自分にとって納得できるかという話です">2</a></sup> 。</p>
<p>ただ、私がいろんな教養論を読んだ中で結構納得した話は、浅羽さんの教養論<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/#footnote_2_368" id="identifier_2_368" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ブックオフで安くで売ってると思うので、良かったら手にとって読んでみてください">3</a></sup> でした。初っ端から長い引用&amp;一部孫引きになって恐縮ですが、その本からちょっと引いておきます。</p>
<blockquote cite="浅羽道明『教養論ノート』pp.74-76">
<p>現代哲学研究で知られる木田元は、90年代中庸に噂された＜哲学ブーム＞についてこんな醒めた分析をしている。</p>
<blockquote>
<p>おそらく、経済成長期には会社に身を預けていさえいれば後生安楽と信じていをた人たちが、バブルがはじけリストラが始まってみると、どうも会社がそれほど安心立命の地には思えなくなり、ではいったい会社を離れた自分は何者なのか、会社に見捨てられたら何をよすがに生きれば良いのかを思いまどい、哲学ならこうした疑問に答えてくれるかもしれないと思って哲学書を手に取った、と言った程度のことであろう</p>
</blockquote>
<p><span class="weaken">（略）</span></p>
<p>あるいは、『教養小説名作選』というアンソロジーがある。その巻末で、編者の高橋健二と対談した作家三浦朱門はこう発言している。</p>
<blockquote>
<p>たとえば病気、生きるか死ぬかの病気をして、再び社会に復帰できないんじゃないか、あるいは二度も三度も受験に失敗して落第する。自分の同級生はもうさっさと世の中に出てる。そんな状態のとき、つまり自分は一人落第者になってしまった。だから落第者になった人たちというのは、かえって自分が一人だと言うことを意識しやすい。つまり人間はいかに生きるかということの出発点になるべき、自分の孤独感というものを落第者の方が意識しやすい。</p>
</blockquote>
<p>これを裏読みするならば、一人落後するような羽目に陥らない限り、人は「人間はいかに生きるか」をめぐる知識体系＝「教養」など、必要ないともとれる。三浦朱門のいう「同級生」のごとき「世間」からの脱落が、「教養」への必要を生じさせるこの事情は、決して我が国だけのことではなさそうだ。<span class="weaken">（19世紀ドイツの話になりますが、略）</span></p>
<p>「世間」が指針となるとは、すなわち、その「世間」を、「社会の中での自分の位置」となしえているわけであり、中世同様、そのかぎりでは「教養」など必要とはならない。だが、<em>いったんその「世間」からズレてしまった「自分」は、自らその世の中での位置、居場所を、探しあてねばならない</em>。それが同時に、何が大切で何が大切でないかを示してくれる生き死にの指針の探索ともならざるを得ないのは、言うまでもない。</p>
<p class="citation"><cite>浅羽道明『教養論ノート』pp.74-76</cite>（強調は私によるもの）</p>
</blockquote>
<p>私がなぜ教養なるものを大学に期待したのか、というのかなぜ教養というものを求めたか。それは私が大学という場にいたからだと思います。</p>
<p>大学というのはモラトリアム＝社会的猶予期間という語の示すとおり、高学歴社会に特に一般的なものとは思います。しかし、それは<em>社会的には非常に浮いている存在</em>です。大学生は社会人との境界線の前後にいながらも、無職と紙一重の存在でもあります。</p>
<p>そんな中で、私も社会の中での自分の立ち位置を測りあぐねていたのかもしれません。今は大学生だけど、社会に出たら私はいったい何なのか、は当たり前ですが自分で探さないといけません。さらに当たり前ですが、そんな疑問に教育学そのものは答えてくれません。</p>
<p>そんな中で哲学・思想などと関連のあるキョウヨウ<span class="weaken">ーその頃は人生に直接には役には立たないけど、自分の立ち位置を考える上であると便利なものくらいに捉えてましたー</span>を求めたのだと思います。</p>
<p>そして、この話から考察できるのは教養の多寡はその人の持つ知識量・情報量を指すのではないということでしょう。哲学・思想から発想される教養は情報量単体とはそれほど関係ないように思うからです（むしろ当人にとっての情報の質が重要）。</p>
<h3 id="t6be6e8">文化系トークラジオLifeの教養論から</h3>
<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/life-radio.png" width="212" height="187" alt="文化系トークラジオLife ロゴ" /></p>
<p>さて、それでこの本を読んで得た定義は何か。‥と、これを書く前にもうちょっと教養について語っているリソースを引用しておきましょう。</p>
<p>これはTBSラジオの文化系トークラジオLifeで、「教養」を特集した回に読まれていた読者メールの内容です。ちなみにこの回については、<a href="http://www.tbsradio.jp/life/20070317/" title="文化系トークラジオ Life: 2007/03/17 「教養」 アーカイブ">文化系トークラジオ Life: 2007/03/17 「教養」 アーカイブ</a>で実際の録音が聴けますし、以下の有志まとめでパーソナリティ陣の会話がテキスト化されてます<span class="weaken">（なんて便利なんだ）</span></p>
<ul>
<li><a href="http://wiki.livedoor.jp/life_wiki/d/%A1%D6%B6%B5%CD%DC%A1%D7" title="「教養」 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki（ウィキ）">「教養」 &#8211; 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki</a></li>
<li><a href="http://wiki.livedoor.jp/life_wiki/d/%a1%d6%b6%b5%cd%dc%a1%d7Part2" title="「教養」Part2 - 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki - livedoor Wiki（ウィキ）">「教養」Part2 &#8211; 「文化系トークラジオ Life」まとめWiki</a></li>
</ul>
<blockquote cite="文化系トークラジオLife「教養」（外伝 第4回）"><p>
教養は物事を客観視するのに役に立つのではないかと思います。ある現象・ある問題に直面した時に、直接的には解決に結びつかないかもしれませんが、<em>教養があるからこそ、その現象や問題を含んだ全体の地図を描くことができる</em>。それがどこに位置づけられるのか説明できます。<br />
Lifeのホームページにもあったように、ただしその人の品格・良き人間を目指すと言うことを伴わない教養は単に知識・うんちくにしか過ぎないような気もします。</p>
<p class="citation"><a href="http://www.tbsradio.jp/life/2007/03/317part41.html"><cite>文化系トークラジオLife「教養」（外伝 第4回）</cite></a>（強調は私によるもの）</p>
</blockquote>
<p>結構なるほどって思ったんですよ、これを聴いたとき。みんなAと言う事象をBという視点から考えているときに、Cという視点から発言する人がいて、それでなるほどーと思ったときに「この人教養あるなー」とよく思ったんですよね。</p>
<p class="left-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/network.png" width="200" height="161" alt="脳内ネットワークのイメージ図" /></p>
<p>私は学術系サークルに入っていたんですが、参加者はみんながみんないろんなバックグラウンドを持っているのですね。例えば私がディスカッションの司会をしていて、そこでこの話について絶対Aだろとか思っていてBの反論をいろいろ考えていても、C/D/Eなどいろんな所からBを関連づけて反論してくれるんですね。自分が被発表者の立場であれば当然そうするので、そうした自分の分野と相手の分野を結びつけて、物事を考える能力ってすごく鍛えられるのです。</p>
<p>そして、前述の投稿文ともシンクロしますが、こういうのが教養なのではないかなと。知識の総体じゃないんですね。もちろん出すべき引き出しは必要ですがそれはネットなりから調達できるわけで、<q>全体の地図を描く</q>ために必要なのはそれをどういった時に、どう使うかという話だと思うのです。</p>
<p>で、以上をまとめて私の教養観を書くならば以下のようになります。</p>
<ol>
<li><em>自分の中の知識・情報を有機的に関連づけ組織化・体系化する能力</em><span class="weaken">（知識ネットワークを組織する能力）</span>であり、また<em>それをTPOに応じて適宜使い分ける能力</em><span class="weaken">（知識ネットワークを利用する能力）</span>である。こうした能力は例えば、自分のことを相手の立場を考えながら説明したり、今までからは考えられない現象を既知の知識と関連づけて判断するなどといった際に使用される。</li>
<li><em>1を実行する上でその基盤となる能力</em>。いわゆる論理的思考力などがこれにあてはまる。</li>
</ol>
<p>で、これってそれ自体ですぐに何かに役立つわけではないんですよね。だから「ムダ」とか「実学とは正反対」とか言われるのも理解できるんですよ。「実学と正反対」であるならば、その根拠も教養が時空<span class="weaken">（時間および地理的な場所）</span>の制限やその時々の流行廃りを超えて、有効なものだとすれば合点がいきます。上の定義に何か一時的なところに教養を限定する言葉は入ってないですしね。</p>
<p><ins datetime="2008-03-12T16:04:25+09:00" class="block"><br />
ちなみに<amazon>4255001545,text</amazon>という本でも、第一章で「つながりを発見する能力」として似たような議論が展開されています。</p>
<p>そして、池谷さん（神経科学者）によると、<q>三十歳以降は脳が独特な働きをするようになる</q>ので、<q>三十歳を過ぎると、つながりを発見する能力が非常に伸びるん</q>だそうです。科学的にこういう愛の手があると面白いですね。<br />
</ins></p>
<h3 id="t30eb59">ICUの教養論から</h3>
<p>あとはオマケですが、大学研究家の山内さんが聴いた<a href="http://www.geocities.jp/dennou3jp/kantou1.htm#4" title="関東私大１">人文学論・教養論</a>もなかなか面白いものでした。</p>
<p>ちなみに、大衆こそ教養を持つべきだという思想はフランスでは高校での哲学教育という形で現実と結実しているように思います。フランスの哲学教育は<a href="http://www.u-gakugei.ac.jp/~seminair/memoire/02/ono.htm" title="東京学芸大学教育学部">東京学芸大学の学生が書いた卒論</a>が一番入手しやすくてわかりやすいリソースだと思うので、興味があれば読んでみてください。</p>
<p>あと、余った<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/#footnote_3_368" id="identifier_3_368" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ウェブだから余るはずないんだけどさ">4</a></sup> スペースで、オススメの哲学入門書をいくつかリストアップしておこうと思います。原書や岩波文庫は興味が湧いてから読むくらいでいいんじゃないすか。大学時代、暇がある時に一冊くらい読んでおくことをオススメするよ。</p>
<h3 id="tc7451f">教養をつけるための哲学本</h3>
<p>フランスのリセ（日本で言う高校）で使われた教科書。ちょっと過激でエンターテイメントにもなりうる哲学本。</p>
<p><amazon>4757140673</amazon></p>
<p>構造主義にはまると、世の中を構造主義的にしか捉えられなくなるのが怖いというかスリリングと言うか。</p>
<p><amazon>4061488988,clear</amazon></p>
<p>地に足のついた哲学を展開する竹田先生の専門は現象学。哲学かじったことある人はジュニア新書の方は飛ばしていいかもしんない。</p>
<p><amazon>4005004156</amazon></p>
<p><amazon>4480081097</amazon></p>
<p>コペル君が活躍するご存じ教養小説。社会の存在とか、グローバリゼーションって何とかいろんな学問が一冊に詰まった良書です。</p>
<p><amazon>4003315812</amazon></p>
<p>ヘーゲルとかなんとか主義とか言うとなんだか難しそうだが、西研さんは割とわかりやすく書いてくれてる。</p>
<p><amazon>4140017252, clear</amazon></p>
<p>右翼と左翼ってよく言うけど何なのかな？から始まって、その定義を歴史的に振り返ることで明らかにして、最後に右翼と左翼という基準さえよくわからなくなっている現代を分析するという構成。歴史物が好きな人にもオススメ。</p>
<p>ちなみに、この本はサークルのディスカッションで使っていて、<a href="http://www.webseiken.com/press/20070627.html" title="同志社大学 政治学研究会 - ミニ勉強会「右翼と左翼」で使用したレジュメとキーノートの公開">レジュメとキーノートを公開しています</a>。もし、よければ見てみてください。</p>
<p><amazon>434498000X</amazon></p>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_368" class="footnote">関西では1年生を1回生と呼びます</li><li id="footnote_1_368" class="footnote">これから書く話も何が教養かというファクト（事実）ではなく、どの教養論が自分にとって納得できるかという話です</li><li id="footnote_2_368" class="footnote">ブックオフで安くで売ってると思うので、良かったら手にとって読んでみてください</li><li id="footnote_3_368" class="footnote">ウェブだから余るはずないんだけどさ</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=368&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://note.openvista.jp/2008/what-is-liberal-arts/feed/</wfw:commentRss>
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		</item>
		<item>
		<title>日本の高齢者は都市でこれからどんどん増えていく</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/senior-increases-on-urban/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/senior-increases-on-urban/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 10 Mar 2008 13:05:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/259/</guid>
		<description><![CDATA[東京は経済的・人口的に豊かな都市なので、これからも安泰だろうという説にちょっと違和感があったのでレスしてみます]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<blockquote cite="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51015904.html" title="404 Blog Not Found:日本はヤバくても、東京はヤバくないかも"><p>
お気づきだろうか。若い人口が、日本の平均よりもずっと多いのだ。もちろん、これは他の道府県から若い人口を吸い上げている結果に他ならないが、理由はさておき、東京に関しては高齢化による衰退の懸念はずっと少ない。</p>
<p class="citation"><a href="http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51015904.html" title="404 Blog Not Found:日本はヤバくても、東京はヤバくないかも"><cite>404 Blog Not Found:日本はヤバくても、東京はヤバくないかも</cite></a></p>
</blockquote>
<p>いろいろ書いておられるけど、ちょっと引っかかったのでメモ代わりにレスしますよ。</p>
<p>まず、Wikipediaからの孫引きになっちゃうのですが、社会の高齢化における年齢変動のポインタとしてはこの辺が参考になります。</p>
<blockquote cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A#.E9.A6.96.E9.83.BD.E5.9C.8F.E3.81.A8.E5.9C.B0.E6.96.B9.E5.9C.8F.E3.81.AE.E5.AE.9F.E6.83.85" title="高齢化社会 - Wikipedia">
<p>「首都圏と比べると地方圏は若者が流出し、高齢者数が増加する」という認識は誤りであり、<em>高齢者の増加は首都圏の方が深刻な問題</em>となる。</p>
<dl>
<dd>認識を誤る要因は、「現在高齢者が多いところ」と、「将来高齢者になる人（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%A3%E5%A1%8A%E3%81%AE%E4%B8%96%E4%BB%A3" title="団塊の世代">団塊の世代</a>）が多いところ」を混同してしまうこと、高齢化率の錯覚（若者がいくら流入してこようと高齢者の絶対数は増える）による<sup id="_ref-nipponnochiikiryoku_4" class="reference"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A#_note-nipponnochiikiryoku" title="">[1]</a></sup>。</dd>
</dl>
<p>2000年と2015年の予測値を都道府県別に比較すると、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E7%9C%8C" title="埼玉県">埼玉県</a>は高齢者数が約2倍となり、千葉、神奈川、愛知、大阪がそれに続く。これは、単純に福祉にかかる費用が2000年の倍近くに膨らむことを意味する。</p>
<p>地方圏については、絶対的な高齢者数の増加は避けられないこと、また、若年層が首都圏に流出するために、働き手一人当たりの負担が問題になる。ただし、この問題は<em>首都圏も例外ではない</em>。若年層が流入する<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD" title="東京都">東京都</a>でも、働き手と高齢者との比率は、2000年時点での秋田県と同水準となる<sup id="_ref-nipponnochiikiryoku_5" class="reference"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A#_note-nipponnochiikiryoku" title="">[1]</a></sup>。</p>
<p class="citation"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A#.E9.A6.96.E9.83.BD.E5.9C.8F.E3.81.A8.E5.9C.B0.E6.96.B9.E5.9C.8F.E3.81.AE.E5.AE.9F.E6.83.85" title="高齢化社会 - Wikipedia"><cite>高齢化社会 &#8211; Wikipedia</cite></a>（強調は私によるもの）</p>
</blockquote>
<p>実際に国立社会保障・人口問題研究所は人口の将来推計を行っているんですが、去年の調査の結果では、首都圏（というより都市部）で高齢者が著しく増加するとの推計が出ています。</p>
<blockquote cite="http://www.ipss.go.jp/pp-fuken/j/fuken2007/yoshi/yoshi.html" title="日本の都道府県別将来推計人口（平成19年5月推計）について">
<p>老年人口（65歳以上人口）は2020年まで全都道府県で増加する。しかし老年人口の増加率はおおむね縮小傾向にあり、2020年以降は老年人口の減少県が現れる。<span class="weaken">（略）</span>2035年の段階で老年人口数が多いのは、東京都、神奈川県、大阪府、埼玉県、愛知県など大都市圏に属する都府県である。</p>
<p><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/population1.png" width="382" height="356" alt="都道府県別老年人口増加率" /></p>
<p>後期老年人口（75歳以上人口）は2030年まで全都道府県で増加する。しかし後期老年人口の増加率はおおむね縮小傾向にあり、2030年以降は後期老年人口の減少県が現れる。<span class="weaken">（略）</span>2035年の段階で後期老年人口数が多いのは、東京都、神奈川県、大阪府、埼玉県、愛知県など大都市圏に属する都府県である。また増加率でみると、2005年から2035年にかけて後期老年人口が150％以上の増加になるのは埼玉県、千葉県、神奈川県であり、そのほか茨城県、東京都、愛知県、滋賀県、大阪府、沖縄県については100％以上の増加となる。</p>
<p><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/population2.png" width="404" height="342" alt="都道府県別後記高齢老年人口増加率" /></p>
</blockquote>
<p>そしておそらく弾さんも認識してはいるのでしょうけど、理由に関する部分は「現在」に関することであって、「将来」に関することではないのが気になります。もし将来、<q>日本はヤバ</q>いかもしれないのなら、東京もヤバくなるという可能性は十分あると思います。</p>
<p>ところで、上記推計では2035年時点でも生産年齢人口としては東京がトップです。しかしそれをもって「東京<em>は</em>大丈夫」と言うのはちょっと弱いかもとも思います。読書家の弾さんが東京の将来を実感のみで言っているとは思えないので、どのように思っていらさるのか気になります。</p>
<p>そのほかの点は、当該エントリーのブックマークで<a href="http://b.hatena.ne.jp/zu2/20080310#bookmark-7815411">zu2さん</a>がつけている<a href="http://www.mlit.go.jp/singikai/infra/city_history/city_planning/shigaichi/3/shiryou5.pdf">藻谷浩介さんの資料（PDF）</a>を読んでみるといいかなと思います。</p>
<p>もし、間違っている点があればコメントいただければ幸いです。</p>
<p><ins datetime="2008-03-12T00:05:46+09:00" class="block"><br />
<a href="http://d.hatena.ne.jp/PyTest/20080311/1205196299" title="なんで高齢者の人口しか見ないんだろ？ - 年末年始にJavaScriptでプレゼンツールを作ってみるのをあきらめた">id:PyTest氏にレスをいただいた</a>ので、もう一度考え直してみました。</p>
<p>まず、ご指摘のことはその通りだと思います。そして、そもそもなぜこういった結果になっているか、です。以下は推論であり、仮説です。</p>
<p>都市部では団塊世代の方達が高齢化するけれども、その子供達ががんばって家庭を築くので生産年齢人口の減少は少ない。また、地方部は既に老齢者の比率が高い地域が多く、これ以上の高齢化は難しいので高齢化は緩やかになっていく、ゆえに老齢者の増加率は低い。</p>
<p>よって、老齢人口の増加率が高い地域では生産年齢人口の減少率が低く（主に都市部）、その逆も成り立つ（主に地方部）のではないかと推論できます。</p>
<p>とすると、ここから「だから地方はヤバい」という状況も導出できます。まず、地方部は既に人口全体に占める老齢者人口率が多いという現状があって、それに合わせるように若者の現象が比較的高いレートで進んでいくわけです。とすると、ここでは数字上はid:PyTest氏が出したとおり大差はないにも関わらず、この結論からはどことなく地方の停滞したイメージが想像できるのですよね。</p>
<p>しかし、<em>何をもって「ヤバい」とするかが各々によって異なってくる</em>ので、なにかこの話の落としどころは難しい気がしますね。つまり、藻谷氏が指摘するような<q cite="http://d.hatena.ne.jp/trivial/20080311/1205236896" title="団塊の世代の平均年齢は毎年1歳ずつ上昇する">東京都では、これからどんどん増える高齢者のために、老人福祉施設新設のための莫大なコストを今後社会全体で負担する必要が生じる</q>といった社会資本整備費の負担増をもって「ヤバい」とするのか（この意味では<em>都市がヤバい</em>）、はたまた老人ばかりで若者が減り、経済も停滞した地方の未来をもって「ヤバい」とするのか（この意味では<em>地方がヤバい</em>）です。</p>
<p>うーん、しかし数字を扱うのって結構ムズいですね。きちんとなぜそうなっているのかを理解して扱うクセをつける必要がありますね。<br />
</ins></p>
<img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=367&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>高齢者のサポート無くしてネットに将来はないんじゃないかな</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 09 Mar 2008 14:53:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウェブはこうあってほしい論]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>
		<category><![CDATA[自己語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/%e3%83%8d%e3%83%83%e3%83%88%e3%81%ae%e3%81%93%e3%82%8c%e3%81%8b%e3%82%89%e3%82%92%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b%ef%bc%881%ef%bc%89%ef%bc%9a%e9%ab%98%e9%bd%a2%e8%80%85%e3%81%ae%e3%82%b5%e3%83%9d%e3%83%bc/</guid>
		<description><![CDATA[少子高齢化に伴って高齢者のユーザ拡大が予想できるけども、現在のネットでもってそれに対応できるんだろうかという話]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ここをお読みの方であれば<a href="http://www.itmedia.co.jp/" title="IT総合情報ポータル「ITmedia」Home">IT総合情報サイトのITmedia</a>はご存じだとは思いますが、先日このサイトなどを運営する株式会社アイティーメディアの会社説明会に行ってきました。</p>
<p>話としては、事業や職種紹介よりも直近の社会動向からビジョンを語ることに力を入れた説明会<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/#footnote_0_362" id="identifier_0_362" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="この手の説明会はポジショントークが少ないので、聴いていて飽きません">1</a></sup> で、結構面白かったです。</p>
<p>ネット系の企業から「信頼できる情報を提供している出版社は残るべき、無くなってはいけない」という言葉が聴けたのも面白かったですが、「インターネットはそんなにすごくない。リテラシーやテクノロジーの壁があって、まだまだテレビのように簡単に使用できていない層がたくさんいる。インターネットがこれからも伸び続けていくためにはこの壁を乗り越えていく必要がある」といった下りは、私も<a href="http://note.openvista.jp/profile/#te8b271" title="Liner Note - 私とこのサイトのプロフィール">自分の関心</a>と全く同じなので、非常に共感するところです。</p>
<p>で、なぜ共感するか。今回はそれをちょっと書いておこうと思います。</p>
<p>最近、ネット系の企業の説明会を伺う時にだいたい思うのですが、そこには「これからもインターネット市場は成長する」という前提があるように思うんです。確かに最近<a href="http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/02/20/18524.html" title="2007年のネット広告費は6,003億円、前年比24.4％増で雑誌広告上回る">ネット広告費が雑誌のそれを抜いた</a>と話題になりましたし、<a href="http://www.nri.co.jp/news/2006/061221.html" title="2011年までの国内IT主要市場の規模とトレンドを展望（2）～インターネット広告が7,417億円、ブログ・SNSは1,706億円に拡大～">NRIもネット市場全体が伸びるよ</a>なんてことを言ってます。</p>
<h3 id="tf75602">これからは高齢者のターン！</h3>
<p class="left-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/jumyo.png" width="300" height="144" alt="日本の平均寿命の推移" /></p>
<p>けれど、こと日本においては高齢化がずんずん進んでいく中で、高齢なユーザの存在は無視できなくなります。車社会は車を前提とした社会が作られることを意味するように、高齢社会というのは高齢者の存在を前提に社会が作られていくことを意味しています<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/#footnote_1_362" id="identifier_1_362" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="10年後には高齢者（65歳以上の方）の数は30%近くになっているようです">2</a></sup> 。</p>
<p>団塊世代の大量退職によって、インターネットに触れる高齢ユーザは増加していくでしょう。実際、<a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0611/07/news124.html" title="ITmedia News：20代は6年で半減　国内ネットユーザーの年齢構成に変化">ネットレイティング社が行った調査</a>では40代以上のユーザの増加が目立ってきています。</p>
<p>ですから、<em>高齢者ユーザのマーケティングやサポート無くしては、日本のネット産業の成長はない</em>とみていいのではないかなと。</p>
<p class="right-box"><a href="http://note.openvista.jp/download/2008/03/wii.jpg" rel="lightbox" title="Nintendo Wii"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/03/wii.thumbnail.jpg" width="250" height="187" alt="Nintendo Wii" /></a></p>
<p>ゲーム業界では、任天堂がWiiやNintedo DSなどのハードのUIの改革を通じて、今までゲームに触らなかった・触らないようになったユーザを獲得し、<a href="http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20051005" title="圏外からのひとこと(2005-10-05)">ゲーム人口の拡大を図って</a>、業界全体が<q cite="http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000056025,20087292,00.htm">ゆっくり死んでいく</q>道をなんとか抜けだそうとしていますが、ネット全体もこの潜在的な危機の最中にあるのではないかと思っています。</p>
<p>こう思ったのは、母がPCを使いはじめてそろそろ1ヶ月になるのですが、まだまだウェブ利用でつまづくことがよくあり、積極的に利用することが少ないというのが1つあります<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/#footnote_2_362" id="identifier_2_362" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="基礎的なPCリテラシーですが、これはそこそこついてきていると思っています">3</a></sup> 。それに、最近流行ったサービスがニコニコ動画などの動画共有サービス<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/#footnote_3_362" id="identifier_3_362" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="YouTubeは除きます">4</a></sup> 、および<a href="http://handsout.jp/slide/229?variety=2" title="080129_2_si6.pdf :: handsOut.jp">mixi</a>やモバゲータウンなどのSNSなど若年層を対象にしたサービスが多いというのもありますね。つまり高齢者ユーザって、ネットビジネスではあまり注目されてないし、ウェブのビジュアルデザインの観点からもまだまだ課題の残るサイトは多くあるように思うのです。</p>
<p>私が、ユーザビリティひいてはユーザ中心デザインなんかに最近興味を持ってきたのはこういう理由からです。ウェブというメディアが<q>ゆっくり死んでいく</q>というのは、あまり想像できないことかもしれませんが、以上のような状況を考えれば、あながちありえないことでは言えないでしょう。その点では、私が現在考えていることは任天堂の岩田氏に近いかもしれませんね。</p>
<p>ということで、<em>高齢者ユーザにとってのユーザビリティ向上のノウハウを集め、実際にサイトを使えるようにしていくことでウェブの価値を高めていく</em>、というのが現在私の考えていることです。</p>
<p>そのためには何をすればよいかはまだまだ模索中ですが、現時点では大きく2点考えています。</p>
<dl>
<dt>伝えるべき情報を明確にする</dt>
<dd>
<p>特にサイトのトップ等、ユーザのネット行動のふりだしにあたる部分の<em>インターフェイスのフォーカスを絞る</em>ことにより、ユーザの目的意識を高めて、スムーズなネット使用をサポートする必要があるんじゃないかな。情報は多すぎるとそれだけでエラーの原因になり行動を起こしづらくなりますし、逆に少なすぎると何をしていいのかわかりにくくなります。</p>
<p>ちなみに<a href="http://note.openvista.jp/249/" title="Liner Note - iPod touch専用 料理レシピ検索サービスを作った">料理レシピ検索サービス</a>もそれを意識して作りました。</p>
</dd>
<dt>機械にインテリジェントに情報を処理させる</dt>
<dd>
<p>まず、前提として<em>機械の論理で人間を振り回さない</em>ことですね。世の中はオートメーションによって便利になっているように見えますが、実際の所それに人間がつきあわされて、今までより不便になっているケースもあるでしょう<span class="weaken">（納得はできないけど、ソフトウェアがこういう動作をするからそれに合わせるほかないという経験は誰しもあるんじゃないかな）</span></p>
<p>そういうマイナスを減らすと言うことでなく、もう少しポジティブに見るならば、機械でやれることは極力機械でさせ、それを<em>よりインテリジェントにしていく</em>ということがあります。例えば、私が今進めている蔵書検索エンジンでは、普段の生活（通勤・通学）ルートを登録しておけば、蔵書検索時にそのルート付近にある書店・図書館から自動で蔵書検索結果を引っ張って統合表示するということを考えています。</p>
</dd>
</dl>
<p>この項はいろいろ書きたいことがあるので、分けて書こうと思います。</p>
<h3 id="tbb5961">関連リンク</h3>
<ul>
<li><a href="http://www.bebit.co.jp/column/column016.html" title="シニア向けサイト構築【前編】 ユーザビリティコラム ［ビービット]ユーザビリティに特化したウェブコンサルティング">ビービット：シニア向けサイト構築【前編】</a>、<a href="http://www.bebit.co.jp/column/column017.html" title="シニア向けサイト構築【後編】 ユーザビリティコラム ［ビービット]ユーザビリティに特化したウェブコンサルティング">同【後編】</a></li>
<li><a href="http://fbitnews20.exblog.jp/7453161/" title="FBITニュースアーカイブス : 女性/高齢者のネット利用が急増 - 英政府の通信・メディア利用調査">FBITニュースアーカイブス : 女性/高齢者のネット利用が急増 &#8211; 英政府の通信・メディア利用調査</a></li>
<li><a href="http://japan.internet.com/research/20010125/1.html" title="japan.internet.com デイリーリサーチ - シニアユーザー、9割がインターネットに不便あり">japan.internet.com デイリーリサーチ &#8211; シニアユーザー、9割がインターネットに不便あり</a></li>
<li><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BD%A2%E5%8C%96%E7%A4%BE%E4%BC%9A#.E3.80.8C.E5.B0.91.E5.AD.90.E9.AB.98.E9.BD.A2.E5.8C.96.E3.80.8D.E3.80.8C.E9.AB.98.E9.BD.A2.E5.8C.96.E7.8E.87.E3.80.8D.E3.81.A8.E3.81.84.E3.81.86.E8.A8.80.E8.91.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E8.AA.A4.E8.A7.A3.E3.81.A8.E3.81.9D.E3.81.AE.E7.9C.9F.E3.81.AE.E6.84.8F.E5.91.B3" title="高齢化社会 - Wikipedia">高齢化社会 &#8211; Wikipedia</a></li>
<li><a href="http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-30616120080303?feedType=RSS&amp;feedName=topNews" title="インタビュー：新規出店競争は行わず、高齢化支えるインフラに＝ローソン社長 | Reuters">インタビュー：新規出店競争は行わず、高齢化支えるインフラに＝ローソン社長 | Reuters</a></li>
</ul>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_362" class="footnote">この手の説明会はポジショントークが少ないので、聴いていて飽きません</li><li id="footnote_1_362" class="footnote"><a href="http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2007/gaiyou/html/jg110000.html" title="平成19年版　高齢社会白書">10年後には高齢者（65歳以上の方）の数は30%近くになっているようです</a></li><li id="footnote_2_362" class="footnote">基礎的なPCリテラシーですが、これはそこそこついてきていると思っています</li><li id="footnote_3_362" class="footnote"><a href="http://zen.seesaa.net/article/28586259.html" title="メディア・パブ: YouTubeのユーザー，裕福な中高年層が中核に">YouTubeは除きます</a></li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=362&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://note.openvista.jp/2008/senior-support-needed-for-web/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>なぜ「電車内での携帯電話使用ルール」は社会的合意なのか</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 16 Feb 2008 15:22:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/252-2/</guid>
		<description><![CDATA[なぜ車内での携帯電話の使用に関するルールが社会的な合意となっているのかマジレスしてみる]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/02/phone.png" width="200" height="342" alt="携帯電話" /></p>
<p>電車に乗っていると、毎度のように「車内での通話はご遠慮ください、また優先座席付近では電源をお切りくださるようお願い申し上げます」というアナウンスが流れますよね。毎日聞くものだから、こうやってソラでも打てるようになってしまいました。</p>
<p>けど、なぜ禁止なんでしょうか。ウェブでは、もう何度となく繰り返されてきた話ですが、ちょっと私が納得できるところまでまとめておこうと思います。ちなみに、途中で「正しいか・正しくないか」という話とも書いていますが、最終的にはそれとは別次元の「なぜ合意となっているか」ということを考えたいと思って書いたモノなのであしからず。</p>
<p>まず、「車内での携帯電話の禁止」の理由は、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E6%96%87%E5%8C%96" title="日本の携帯電話文化 - Wikipedia">日本の携帯電話文化＃社会的現象</a>に記述があるので、参考にすると、<em>対電子機器の問題</em>と<em>マナーの問題</em>の2つがあるようです。</p>
<h3 id="t1ee5d6">ペースメーカーの問題</h3>
<p>ペースメーカーの問題に関しては、さきほどのWikipediaの項目に反論的なことも書かれているので、少し長いですが引用します（強調部分は引用者によるものです）</p>
<blockquote cite="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E6%96%87%E5%8C%96" title="日本の携帯電話文化 - Wikipedia">
<dl>
<dt>対電子機器の問題</dt>
<dd>
<p><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%87%93%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC" title="心臓ペースメーカー">心臓ペースメーカー</a>などの医療用電子機器に接近させた場合、それらの動作に影響を与える可能性が指摘されている。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B3%A2%E9%9A%9C%E5%AE%B3" title="電波障害">電波障害</a>。心臓ペースメーカー利用者と遭遇する率が高いと考えられる列車や医療機関の内部などでは、携帯通信端末の利用の自粛が求められる。</p>
<p>ただしこれは<em>3<span class="weaken">（引用註：マナーの問題）</span>の理由での自粛を促すための合理化に過ぎない場合</em>もある。心臓ペースメーカー団体や日本政府は、携帯電話が心臓ペースメーカーに影響を及ぼす範囲は22cm以内と発表しているが、そもそも電波は人体によって伝播が阻まれるため、携帯電話のような弱い電波は人体内部には浸透しづらい。そのためこの22cmの距離は、<em>人体内の心臓ペースメーカーを想定しない実験結果</em>である疑いが挙がっている。</p>
<p>さらに3G携帯電話においては、心臓ペースメーカーを人体から取り出し、携帯電話と心臓ペースメーカーの機器を防磁のカバーを取り外したむき出しの状態で密着させる距離でないと影響しない。また一般には誤解されているが、万が一携帯電話より心臓ペースメーカーが誤作動を起こした場合でも心拍数が増加し一時的に気分が悪くなる程度で<em>生死に関わる問題は、心臓ペースメーカーの役割上ありえない</em>。さらには携帯電話と心臓ペースメーカーの関係を問題視しているのが、先進国でも日本だけであることを考慮すれば、この両者の因果関係の信憑性は極めて低い。</p>
</dd>
</dl>
<p class="citation"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E6%96%87%E5%8C%96" title="日本の携帯電話文化 - Wikipedia"><cite>日本の携帯電話文化 &#8211; Wikipedia</cite></a></p>
</blockquote>
<p class="right-box"><img src="http://note.openvista.jp/download/2008/02/pacemaker.png" width="200" height="200" alt="ペースメーカー" /></p>
<p>出典が明記されていないので鵜呑みにするのは危険ですが、確かにペースメーカーは人体の脂肪などを挟んだ位置にあることを勘案すれば、22cmという指針を鵜呑みにすることもまた危険であるとも言えるでしょう。</p>
<p>このように書いたのは、<a href="http://d.hatena.ne.jp/hatuseno/20040817/1092754534" title="携帯電話とペースメーカーの関係についてのメモ - 情報酒場・裏">携帯電話とペースメーカーの関係についてのメモ &#8211; 情報酒場・裏</a>経由で<a href="http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/07/h0725-1.html" title="医薬品・医療用具等安全性情報１７９号">厚生労働省の再検証結果</a>を見てのことです。ここではペースメーカーなどの機器は以下のような影響を受けるとされています（表はリンク先のモノを一部補足し、整形したもの）</p>
<h4 id="t6bd65c">植込み型心臓ペースメーカ</h4>
<table>
<thead>
<tr>
<th colspan="2">種類および世代</th>
<th colspan="2">2G携帯電話<br />PDC</th>
<th>3G携帯電話<br />CDMA/CDMA2000 1x</th>
<th>3G携帯電話<br />W-CDMA</th>
<th>PHS</th>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th colspan="2">周波帯</th>
<td>800MHz</td>
<td>1.5GHz</td>
<td>800MHz</td>
<td>2GHz</td>
<td>1.9GHz</td>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th rowspan="2">今回（2002年度）</th>
<th>干渉率</th>
<td>6.5%</td>
<td>1.8%</td>
<td>3.6%</td>
<td>3.6%</td>
<td>2.4%</td>
</tr>
<tr>
<th>最大干渉距離</th>
<td><em>11.5cm</em></td>
<td><em>4.0cm</em></td>
<td><em>1.8cm</em></td>
<td><em>1.0cm</em></td>
<td><em>2.5cm</em></td>
</tr>
<tr>
<th rowspan="2">前回（1990年）</th>
<th>干渉率</th>
<td>19.3%</td>
<td>4.4%</td>
<td colspan="2" rowspan="2">（結果なし）</td>
<td>2.6%</td>
</tr>
<tr>
<th>最大干渉距離</th>
<td>14cm</td>
<td>15cm</td>
<td>7cm</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<h4 id="t9e7e9e">植込み型除細動器</h4>
<table>
<thead>
<tr>
<th colspan="2">種類および世代</th>
<th colspan="2">2G携帯電話<br />PDC</th>
<th>3G携帯電話<br />CDMA/CDMA2000 1x</th>
<th>3G携帯電話<br />W-CDMA</th>
<th>PHS</th>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th colspan="2">周波帯</th>
<td>800MHz</td>
<td>1.5GHz</td>
<td>800MHz</td>
<td>2GHz</td>
<td>1.9GHz</td>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr>
<th rowspan="2">今回（2002年度）</th>
<th>干渉率</th>
<td>19%</td>
<td>9.5%</td>
<td>12.5%</td>
<td colspan="2" rowspan="2">影響なし</td>
</tr>
<tr>
<th>最大干渉距離</th>
<td><em>5cm</em></td>
<td><em>1cm</em></td>
<td><em>2cm</em></td>
</tr>
</tbody>
</table>
<ol>
<li>注1：干渉率は影響を受けた除細動器の割合を意味する。</li>
<li>注2：最大干渉距離は，除細動器が影響を受けた最大距離を意味する。</li>
<li>注3：PHSはダイポールアンテナによるデータを示す。</li>
</ol>
<p>2002年度時点では、携帯電話やペースメーカーの機能向上からか干渉率・最大干渉距離ともにかなり抑えられるようになっています。実際のペースメーカーの間に脂肪があることを考えれば、<em>3G携帯電話は電波の影響はほぼないと言っていいんじゃないでしょうか</em>。ちなみに、これが原因となっての死亡例は未だにありません。</p>
<p>心配なのは2G端末ですが、<a href="http://www.tca.or.jp/japan/database/daisu/yymm/0801matu.html" title="事業者別契約数">TCAの事業者別契約数</a>によれば、およそ1億契約中の約1700万契約はPDCだそうです。一番割合が多いのはNTTドコモのmovaですが、<a href="http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/29341.html" title="ドコモ、「ムーバ2007年終了」報道にコメント">2012年に電波契約が終了となり新規受付の停止を検討している</a>ことから考えれば、4年以内にはほぼ無くなると見て良いと思います<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/#footnote_0_349" id="identifier_0_349" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="ちなみに、この11.5cmというのはペースメーカー装着者が携帯電話で通話している状態でも問題のない距離です。">1</a></sup></p>
<p>よって、個人的には携帯電話の電波による影響は現時点ではそれほど多いものではなく、かつペースメーカー装着者の生死に関わるものではないため、車内での携帯電話使用を禁止する主要因としては弱いのではないかなと思います<span class="weaken">（心臓ペースメーカーと携帯電話の電波についての詳細は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E8%87%93%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC#.E6.90.BA.E5.B8.AF.E9.9B.BB.E8.A9.B1" title="心臓ペースメーカー - Wikipedia">心臓ペースメーカー＃携帯電話</a>をご覧ください）</span></p>
<p>むしろ、この「正しい・正しくない」問題よりも、「ペースメーカーの側で携帯電話を使う →装着者の生死に関わる → 可能性が少なくても万一のことを考えて携帯使用は禁止」という<em>社会的理解の方がより合意の理由として強い</em>のではないかと思います。</p>
<p>現に、携帯電話電源オフ車両を導入している阪急電車のサイトにも、この理由を反映したような以下の記述が見られます。</p>
<blockquote cite="http://rail.hankyu.co.jp/sharyo/keitai.html" title="携帯電話の電源オフ車両｜阪急電鉄｜阪急電車情報">
<dl>
<dt>Q. 心臓ペースメーカーにはどのような影響があるのですか。</dt>
<dd>A. 厚生労働省より「医用機器への電波の影響を防止するための携帯電話端末等の使用に関する指針について」が出され、「22cm（の距離）を保つよう注意することが必要」とあります。しかし、その距離を保っていても、ペースメーカーをご使用のお客様にとっては周りのお客様が携帯電話をご使用になるのを見るだけで不安な気持ちでご乗車になられています。</dd>
<dt>Q. 「電源オフ車両」でPHSは使ってもよいのですか。</dt>
<dd>A. PHSについては、ペースメーカーに対する悪影響は、携帯電話ほどではないと言われています。しかしながら、外見からは携帯電話かPHSかの判断はつけにくく、前項のようなケースもあり、また、静かな音環境保持という導入理由からも電源をお切りください。</dd>
</dl>
<p class="citation"><a href="http://rail.hankyu.co.jp/sharyo/keitai.html" title="携帯電話の電源オフ車両｜阪急電鉄｜阪急電車情報"><cite>携帯電話の電源オフ車両｜阪急電鉄｜阪急電車情報</cite></a></p>
</blockquote>
<h3 id="t2876e4">マナーの問題</h3>
<p>この問題は、多分に発言者の感情・主観が入ってしまい、主観的になりやすいところのなので注意したいところです。その上で、様々なサイトでの意見を総合して整理してみると、「携帯電話での会話が騒々しく、不快である」というのが主な理由のようです。</p>
<p>しかし、もうちょっとつっこんでみてみましょう。まず、CiNiiで検索をかけると<a href="http://ci.nii.ac.jp/naid/110001882412/" title="CiNii - メディアがもたらす環境変容に関する意識調査 : 電車内の携帯電話使用を例にして">CiNii &#8211; メディアがもたらす環境変容に関する意識調査 : 電車内の携帯電話使用を例にして</a>という論文（PDFで閲覧可能）が見つかります。</p>
<p>この著者によると、電車の中での携帯使用が不快な理由は次の2つに分けられるようです。</p>
<dl>
<dt>共同体仮説</dt>
<dd>携帯電話が車内の一時的な共同性を破壊するから</dd>
<dt>音仮説</dt>
<dd>単に会話や着信音などの音がうるさいから</dd>
</dl>
<p>共同体仮説というのは、具体的には以下のようなものです。</p>
<blockquote>
<p>電車で誰かが携帯電話をかけていると、異様にうるさい気がしてくる。これは、別に音が大きいからうるさいわけではありません。隣で雑談していてもそれほどうるさくありませんが、携帯電話でひそひそ話されると、ものすごく不愉快な気がしてくる。…人間というのは不思議なモノで、一緒に同じ空間を占めていれば、お互いにはほとんど無関心だけれども、…無意識の連帯感を持つものなのです。…本当にはかない一瞬の共同性がそこでできているわけです。…そこで一人電話をかけている人がいると …その人は、目の前にいるのに、一人だけプライベートな個室に隠れているのと同じ状態になります。 …そこに見えない空間の断絶が生じているから不快なのです。</p>
<p class="citation"><a href="http://www.amazon.jp/o/ASIN/4787231669/ref=nosim/openvista-22"><cite>大澤 真幸(1999) 『電子メディアの共同体』「メディア空間の変容と多文化社会」所収, 青弓社</cite></a></p>
</blockquote>
<p>なるほど、電車内での会話が車内の共同性を壊さない<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/#footnote_1_349" id="identifier_1_349" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="電話での通話は相手の声が聞こえないためプライベートなものだが、同伴者との会話は周りにも聞こえるためオープンであり、共同性・連帯性を壊すものではないと考えられる">2</a></sup> と考えるならば、携帯電話での通話がNGで会話がOKという理由も納得できます。</p>
<p>それとこの論文では、大学生の車内での携帯電話使用に関する意識調査も行っています。2回に渡って、大学生335人に調査した結果は一部を抜粋すると以下のようになっています。</p>
<blockquote>
<p>電車内の携帯電話使用に関するマナーの認知度は非常に高いし、マナーの存在も多くが是認している。ところが、電車内で携帯電話を使用したいと思っているし、実際に使用してしまっている。</p>
<p>そのマナーの存在理由はと言うと、主に騒音であるとしている。また、電波の影響も無視できないとしている。電車内の携帯電話使用を見かけることも非常に多く、その際に嫌悪感を抱いた者も9割近くに達している。</p>
<p class="citation"><cite>上記論文から</cite></p>
</blockquote>
<p>これを読み進めていくと、理由としては<em>音仮説が有力であり、少数だが共同体仮説を支持するコメントも見られた</em>というのがこの論文での結論のようです。</p>
<p>この音仮説を採用するならば、会話OK通話NGの理由も含めて以下のように説明できるかもしれません。</p>
<p>つまり、「本当は大声でしゃべる人もいて迷惑だから禁止するべきだけど、大声の定義が難しいので、車内での会話を実質的に禁止することにもなりかねない。だが、電車内に限り一切しゃべることを禁止するというのはあまりにも社会通念から外れたことであって適用するわけにはいかない。ここはペースメーカーの影響が考えられる携帯電話での通話を禁止しておくのがよい落としどころではないか」<span class="weaken">（これも仮説）</span></p>
<h3 id="te85bb8">まとめ</h3>
<p>以上をまとめてみると、電車内での携帯電話使用ルールが合意とされているのは、「<em>以下のような3つのような合意<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/#footnote_2_349" id="identifier_2_349" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="どの考え方を各々の乗客がとっているかはわかりませんが">3</a></sup> が乗客にあり、それを苦情や意見などの形で受け取った鉄道会社がルール化し、マナーとなっているから</em>」と考えられます。</p>
<ol>
<li>携帯電話の「ペースメーカーへの影響が大きい」と考えている乗客間の合意があるから</li>
<li>携帯電話を使用することによって、発生する音がうるさいから（音仮説）</li>
<li>携帯電話での会話が車内での一時的な共同性を破壊するから（共同体仮説）</li>
</ol>
<h3 id="tfe5cc7">参考にしたサイト</h3>
<ul>
<li><a href="http://ci.nii.ac.jp/naid/110001882412/" title="CiNii - メディアがもたらす環境変容に関する意識調査 : 電車内の携帯電話使用を例にして">CiNii &#8211; メディアがもたらす環境変容に関する意識調査 : 電車内の携帯電話使用を例にして</a></li>
<li><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E6%96%87%E5%8C%96" title="日本の携帯電話文化 - Wikipedia">日本の携帯電話文化 &#8211; Wikipedia</a></li>
<li><a href="http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/07/h0725-1.html" title="医薬品・医療用具等安全性情報１７９号">医薬品・医療用具等安全性情報179号</a></li>
<li><a href="http://simple-u.jp/pdone.php?id=660" title="電車内でも携帯電話を使ってよい：Simple-憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記">電車内でも携帯電話を使ってよい：Simple-憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記</a></li>
<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/hatuseno/20040817/1092754534" title="携帯電話とペースメーカーの関係についてのメモ - 情報酒場・裏">携帯電話とペースメーカーの関係についてのメモ &#8211; 情報酒場・裏</a></li>
<li><a href="http://www.tarosite.net/2003/08/post_254.html" title="TAROSITE.NET: 電車内でのケータイ">TAROSITE.NET: 電車内でのケータイ</a></li>
<li><a href="http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212535842" title="〔再質問〕電車内での携帯通話がなぜマナー違反なんですか？ - Yahoo!知恵袋">〔再質問〕電車内での携帯通話がなぜマナー違反なんですか？ &#8211; Yahoo!知恵袋</a></li>
<li><a href="http://rail.hankyu.co.jp/sharyo/keitai.html" title="携帯電話の電源オフ車両｜阪急電鉄｜阪急電車情報">携帯電話の電源オフ車両｜阪急電鉄｜阪急電車情報</a></li>
</ul>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_349" class="footnote">ちなみに、この11.5cmというのはペースメーカー装着者が携帯電話で通話している状態でも問題のない距離です。</li><li id="footnote_1_349" class="footnote">電話での通話は相手の声が聞こえないためプライベートなものだが、同伴者との会話は周りにも聞こえるためオープンであり、共同性・連帯性を壊すものではないと考えられる</li><li id="footnote_2_349" class="footnote">どの考え方を各々の乗客がとっているかはわかりませんが</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=349&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://note.openvista.jp/2008/why-we-follow-the-mobile-phone-rule/feed/</wfw:commentRss>
		<slash:comments>14</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>いわゆる日本語衰退論</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2008/change-of-japanese-language/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2008/change-of-japanese-language/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 05 Jan 2008 21:05:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウェブサービス論]]></category>
		<category><![CDATA[社会語り]]></category>
		<category><![CDATA[自己語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/239/</guid>
		<description><![CDATA[ニコニコ動画を消費しすぎると頭が悪くなるよというのにたぶん近いベタなお話]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>クリスマス、年の瀬、お正月。ニコニコ動画と卒論とを往復していた感のある年末年始だったのだが、そんな中でニコ動を見ながら思うのは話したり書いたりする日本語がだんだん短くなってくるという問題。</p>
<p>自分はどっちかってと、2ちゃんねると同じくニコニコ動画にはあんまり書きこまない方なのだけど、場のノリに入るという意味からコメントを書くことがある。ニコニコでのコミュニケーションってのはおおむね1発言20文字以内で収まるので、そういうのに慣れてくると頭がそうしたコミュニケーションに最適化されていく感じがしていくんですよね。それってちょっと怖いなーと。</p>
<p>なんてことを書いていて思い出したのは、1ヶ月前に<a href="http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/" title="荻上式BLOG">荻上チキさん</a>が出演していた回の<a href="http://www.tbsradio.jp/life/2007/11/112520part2_1.html" title="11月25日放送「暴走するインターネット2.0」part2 (文化系トークラジオ Life)">文化系トークラジオ Life</a>での話。</p>
<p><a href="http://choochooradiolife.blog70.fc2.com/blog-entry-292.html" title="Choo Choo Radio Life 2008～Radio is not only FM! ｢暴走するインターネット2.0｣(その2)">その回</a>では、</p>
<ul>
<li><q>ケータイ普及以前と以後で若者のコミュニケーションは変わってきたんじゃないか</q></li>
<li>→<q>文が短くなっているらしいということについては？</q></li>
<li>→<q>いや、それ以前から中高生って短文で喋ってるよね。「うぜぇ」とか</q></li>
<li>→<q>口語と比較してみるとそんなに（書かれる言葉は）変わらない</q></li>
</ul>
<p>みたいな、日本語衰退論を牽制してるとも読み取れそうな感じのやりとりがありました。</p>
<p>別に短文で喋る＝日本語の衰退なんではなくて、短文でしか喋れないことがまずいんじゃねという前提だと思っていて、つまり、短文と長文にはそれぞれ得手・不得手があって使うフィールドが違うのだから、それを使い分けることが日本語力なるものだろうと思っています。</p>
<p>最近、2ちゃんねるやニコニコ動画で「kwsk」やら「www」やら「自重汁」<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/change-of-japanese-language/#footnote_0_312" id="identifier_0_312" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="詳しくはニュース速報(VIP)板 &amp;#8211; Wikipediaで">1</a></sup> などなどが飛び交う風景を見ていると、そうした言葉は確かに便利なのだけど、それに慣れちゃうと、その言葉が何の略でどれくらいの意味があったことを忘れちゃうんですよね。あれ、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%80%9A%E4%BF%A1%E6%8A%80%E8%A1%93" title="情報技術 - Wikipedia">ICT</a>って何の略でどういうことだったっけって感じの。</p>
<p>なので、いわゆる日本語衰退論は文が短くなる問題というよりも引き出しの数と使い分けの問題だろうなと。ですので最近は、自分が会ったことのない価値に出会ったときに、それを説明する言葉として「これはすごい」しか出てこなかったらヤバいなぁとか思ったりして、それは<a href="http://d.hatena.ne.jp/leva/20080103/1199300240" title="移住 - Liner Note on Hatena">この前Twitterを辞めた</a>りとか最近卒論に精を出しているとか、このブログの更新が少し増えたとかも関係してます。まだ頭の中でゴチャゴチャしてるよくわからないものをしっかりと言語化する前に輸入してきた言葉で片付けちゃうのは怖いってかもったいないなぁと。</p>
<p>で、まとめちゃうと、ニコ動的コミュニケーションだけに向いちゃうと怖いよなーっていう「ゲームばっかしてると頭が悪くなるよ！」みたいなどこかで聴いたような身も蓋もない話<sup><a href="http://note.openvista.jp/2008/change-of-japanese-language/#footnote_1_312" id="identifier_1_312" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="もちろんニコ動を犯人にしたいわけではないし、ニコ動だけをネタにするつもりもないのだが、わかりやすい例として挙げたと言うことです">2</a></sup> になっちゃうんですが、であるなら、ニコニコ動画と2ちゃんねるが連携して議論なんかもできるようになったとするなら、そこがどういう場になっていくのか少し面白いかもとも思うんですね。</p>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_312" class="footnote">詳しくは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E9%80%9F%E5%A0%B1(VIP)%E6%9D%BF#VIP.E8.AA.9E" title="ニュース速報(VIP)板 - Wikipedia">ニュース速報(VIP)板 &#8211; Wikipedia</a>で</li><li id="footnote_1_312" class="footnote">もちろんニコ動を犯人にしたいわけではないし、ニコ動だけをネタにするつもりもないのだが、わかりやすい例として挙げたと言うことです</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=312&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
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		<title>文科省が高等教育を仕切りすぎな件について</title>
		<link>http://note.openvista.jp/2007/mext-and-higher-education/</link>
		<comments>http://note.openvista.jp/2007/mext-and-higher-education/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 12 Sep 2007 02:07:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>hash</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://note.openvista.jp/207/</guid>
		<description><![CDATA[文科省が「学士力」なるものを決めて各大学の評価に向かおうとしているみたいですが、むしろ各大学のミッションを強化させる方向が望ましいんじゃねという話]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>フィードをなんとなく見ていたらちょっと引っかかるニュースが。</p>
<p>なんでも<a href="http://megalodon.jp/?url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070910i305.htm&amp;date=20070910200150" title="問われる「学士力」、楽じゃないぞ！大学全入時代 : 社会 : YOMIURI ONLINE（読売新聞）">大学教育の質を保証するために、文科省主導で「学士力」（仮）なるものを設定して大学の出口管理を強化しようと言う話が中教審から出た</a>とか。</p>
<p>高等教育のユニバーサル化が進んで、大学教育の多様化が叫ばれる中でのお仕着せ的政策で、いただけないっすね。まぁ、これに関しては<a href="http://www.unipro-note.net/archives/50340434.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:「学士力」って、文科省に決めてもらうものですか？ - livedoor Blog（ブログ）">大学プロデューサーズ・ノートのマイスター</a>さんと同じ意見で、高等教育を文科省が内実に渡ってまで仕切るべきではないと思います。</p>
<blockquote cite="http://www.unipro-note.net/archives/50340434.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:「学士力」って、文科省に決めてもらうものですか？ - livedoor Blog（ブログ）">
<p>高校までと異なり、大学の教育内容というのは、国が一律に規定するものではないはずです。専門職の養成課程など、カリキュラムに何らかの統一性やレベル設定が必要なケースもあります。</p>
<p>しかしそれはそれぞれの業界団体や学会、認証評価機関、担当省庁などが議論をして決めていけばいい部分。基本的に、大学の教育力は、大学ごとに違っていて当然です。全国一律、どこの大学でも同じ能力をつけさせる、という必要はありません。</p>
<p class="citation"><a href="http://www.unipro-note.net/archives/50340434.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:「学士力」って、文科省に決めてもらうものですか？ - livedoor Blog（ブログ）"><cite>大学プロデューサーズ・ノート:「学士力」って、文科省に決めてもらうものですか？ &#8211; livedoor Blog（ブログ）</cite></a></p>
</blockquote>
<p>で、背景をちょっとつまんでおくと、1991年に旧文部省が大学設置基準というのを緩和<span class="weaken">（大学設置基準大綱化）</span>して、大学の自主性と裁量を大幅に増やしたんですね（高等教育機関のチェックを事前から事後に移行した）。それは、高等教育の多様化を期待してのことだったんですけども、今まで「縛り」としてあった設置基準が緩くなったことで、東大を除く国公立大はこぞって教養部を廃止しちゃったんです。</p>
<p>結果的に教養教育を担える人材が学内に不足してしまって、教養教育の瓦解が叫ばれることになりました。でもって、このままではまずいって事で、第三者評価機関として様々な評価・認証機構を設置することで、高等教育の質を担保しましょうねという方針になったわけです<sup><a href="http://note.openvista.jp/2007/mext-and-higher-education/#footnote_0_224" id="identifier_0_224" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="この辺のお話は林 論文や慶應SFCの教育評価論あたり参照">1</a></sup> 。</p>
<p>ところがどっこい、今回のようにいつの間にか文科省主導で評価・認証が行われるようになるような議論の流れなわけで、前の方針はどこへいったのよ？という話です。</p>
<p>マイスターさんが仰っているとおり、第三者機関の評価<span class="weaken">（による高等教育の質担保）</span>という方法の評価をすっ飛ばして、はたまた高等教育以前の中等教育と高等教育の接続だとかそれ以前の課程の話だとかもまとめてすっ飛ばしてこれですから、なんともはやというわけで。</p>
<p>おそらく、この提案が出た会議は<a href="http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/kaisai/07090709.htm" title="中央教育審議会 大学分科会 制度・教育部会 学士課程教育の在り方に関する小委員会（第6回）の開催について－文部科学省">この小委員会</a>だと思うんですが、文科省側から何のプレスも出てないので、どうにも言えません。つーか、文科省 or 中教審は第三者評価をどのように評価しているのか知りたいところです。</p>
<p>で、リンク先のニュースでも書かれているとおり、この提案の背景には「アメリカのように入りやすくして、出にくくすれば質が保てるんじゃね」というよく言われる意見があるんですが、私は明確に反対とは言いませんが、こうした意見には違和感があります。</p>
<p>入りやすくすることには賛成ですが、ニュアンスが違っていてAO入試や社会人大学院のように入り口を分散して、相異なる様々な条件を持つ人をもっと受け入れていこうという意味です。つまり、<em>学生の多様化を促して</em>、様々な学生同士＝社会の相互交流を進めようという意味で「入りやす」くするならこれは賛成と言うことです。</p>
<p>それで、「出にくくすれば質が保てるんじゃね」という意見の背後には出にくくなれば学生が必死に勉強するようになって、結果として高等教育の質が向上するという根拠があると思いますが、それよりかは、各大学のアドミッション・ポリシーを明確化して、こういう学生を育てたいという方針・ミッションを強く打ち出して、それに従ってカリキュラムや学習指導を進めていくべきだと思います。</p>
<p>一律に厳しくするのではなく、各大学が教学方針をきちんと明確化して、それに沿わない学生の指導を強化する<sup><a href="http://note.openvista.jp/2007/mext-and-higher-education/#footnote_1_224" id="identifier_1_224" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="GPA制度をより本義に沿った形にするという方法もあります。大学プロデューサーズ・ノート:大学が導入に消極的な「飛び級」制度　年齢制限は何のため？参照">2</a></sup> という方向が、大学教育が多様化している現状にマッチしているんじゃないかなーと思うわけです。</p>
<p>ともかく、一大学生として高等教育についてはいろいろ言いたいことはありますけども、今最も求められているのは<strong>大学教員と職員の連携</strong>じゃないかと考えています。</p>
<p><a href="http://www.unipro-note.net/archives/50340200.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:学生ごとに履修計画を作成する　福井大学大学院 - livedoor Blog（ブログ）">学習内容（何を学びたいか）に深く結びついた履修相談</a>やら、<a href="http://www.unipro-note.net/archives/50230391.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:Enrollment Management のススメ(1)：「エンロールメント・マネジメント」とは - livedoor Blog（ブログ）">エンロールメント・マネジメント</a>（中・長期的視点に立った学生指導策）は、学生自身が<em>根本となる何を学ぶかという意識を明確化</em>するために必要ですし、また文科省が大綱化で一番やりたかったであろう各大学の<em>自己点検・自己評価</em>というPDCAサイクルをうまく回すには、<a href="http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50231189.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:Enrollment Management のススメ(3)：日本に足りていない、「学内データの共有」 - livedoor Blog（ブログ）">大学自身のデータの一元化</a>が必要なわけですが、これらは全て教員と職員との円滑な連携あってこそ成り立つものです。</p>
<p>教務側が保守的で動かないという背景もあるようですが、もはや入って出るだけの大学は、言葉は悪いですが、半分<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%AB" title="ディプロマミル - Wikipedia">ディプロマミル</a>みたいなものですし、きちんと学生のニーズに答えるために組織体制がこれでよいのかどうか再検討していってほしいものです。</p>
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<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_224" class="footnote">この辺のお話は<a href="http://www.oit.ac.jp/japanese/toshokan/tosho/kiyou/jinshahen/48-2/jin-sya_2/hayashi_masahito.html" title="大学設置基準大綱化後の共通（教養）教育のかかえる問題">林 論文</a>や<a href="http://gc.sfc.keio.ac.jp/class/2005_16773/slides/06/index_26.html" title="教育評価論">慶應SFCの教育評価論</a>あたり参照</li><li id="footnote_1_224" class="footnote">GPA制度をより本義に沿った形にするという方法もあります。<a href="http://blog.livedoor.jp/shiki01/archives/50250534.html" title="大学プロデューサーズ・ノート:大学が導入に消極的な「飛び級」制度　年齢制限は何のため？ - livedoor Blog（ブログ）">大学プロデューサーズ・ノート:大学が導入に消極的な「飛び級」制度　年齢制限は何のため？</a>参照</li></ol><img src="http://note.openvista.jp/?ak_action=api_record_view&id=224&type=feed" alt="" />]]></content:encoded>
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