Liner Note

情報(ユーザー中心デザイン・ユーザビリティ)と技術(ウェブプログラミング・ウェブサービス)についてのメモ書き

要約:大学で考察してきた中で得た私の「教養観」を書いてみます

ここではプロフィールに書いてある過去に持った関心をちょっと掘り下げて書いておこうと思います。最近このブログの主旨からすれば、ちと毛色の違うエントリも出してきていますが、就活中ゆえということで。

さて、「教養って何?」というのは、私が大学二回生1 に考えたテーマです。なんとなく大学に行くと教養がつくのかなぁ、とピカピカの大学1回生の頃によく思ったものでした。最初の頃には授業にそれを求めていましたが、かなわぬ事でした。それで、教養って何なのかなって思ったのがきっかけでした。

浅羽道明氏の教養論から

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教養っていろんな解釈があって、これは別にそうやっていろんな解釈があっていいと思います2

ただ、私がいろんな教養論を読んだ中で結構納得した話は、浅羽さんの教養論3 でした。初っ端から長い引用&一部孫引きになって恐縮ですが、その本からちょっと引いておきます。

現代哲学研究で知られる木田元は、90年代中庸に噂された<哲学ブーム>についてこんな醒めた分析をしている。

おそらく、経済成長期には会社に身を預けていさえいれば後生安楽と信じていをた人たちが、バブルがはじけリストラが始まってみると、どうも会社がそれほど安心立命の地には思えなくなり、ではいったい会社を離れた自分は何者なのか、会社に見捨てられたら何をよすがに生きれば良いのかを思いまどい、哲学ならこうした疑問に答えてくれるかもしれないと思って哲学書を手に取った、と言った程度のことであろう

(略)

あるいは、『教養小説名作選』というアンソロジーがある。その巻末で、編者の高橋健二と対談した作家三浦朱門はこう発言している。

たとえば病気、生きるか死ぬかの病気をして、再び社会に復帰できないんじゃないか、あるいは二度も三度も受験に失敗して落第する。自分の同級生はもうさっさと世の中に出てる。そんな状態のとき、つまり自分は一人落第者になってしまった。だから落第者になった人たちというのは、かえって自分が一人だと言うことを意識しやすい。つまり人間はいかに生きるかということの出発点になるべき、自分の孤独感というものを落第者の方が意識しやすい。

これを裏読みするならば、一人落後するような羽目に陥らない限り、人は「人間はいかに生きるか」をめぐる知識体系=「教養」など、必要ないともとれる。三浦朱門のいう「同級生」のごとき「世間」からの脱落が、「教養」への必要を生じさせるこの事情は、決して我が国だけのことではなさそうだ。(19世紀ドイツの話になりますが、略)

「世間」が指針となるとは、すなわち、その「世間」を、「社会の中での自分の位置」となしえているわけであり、中世同様、そのかぎりでは「教養」など必要とはならない。だが、いったんその「世間」からズレてしまった「自分」は、自らその世の中での位置、居場所を、探しあてねばならない。それが同時に、何が大切で何が大切でないかを示してくれる生き死にの指針の探索ともならざるを得ないのは、言うまでもない。

浅羽道明『教養論ノート』pp.74-76(強調は私によるもの)

私がなぜ教養なるものを大学に期待したのか、というのかなぜ教養というものを求めたか。それは私が大学という場にいたからだと思います。

大学というのはモラトリアム=社会的猶予期間という語の示すとおり、高学歴社会に特に一般的なものとは思います。しかし、それは社会的には非常に浮いている存在です。大学生は社会人との境界線の前後にいながらも、無職と紙一重の存在でもあります。

そんな中で、私も社会の中での自分の立ち位置を測りあぐねていたのかもしれません。今は大学生だけど、社会に出たら私はいったい何なのか、は当たり前ですが自分で探さないといけません。さらに当たり前ですが、そんな疑問に教育学そのものは答えてくれません。

そんな中で哲学・思想などと関連のあるキョウヨウーその頃は人生に直接には役には立たないけど、自分の立ち位置を考える上であると便利なものくらいに捉えてましたーを求めたのだと思います。

そして、この話から考察できるのは教養の多寡はその人の持つ知識量・情報量を指すのではないということでしょう。哲学・思想から発想される教養は情報量単体とはそれほど関係ないように思うからです(むしろ当人にとっての情報の質が重要)。

文化系トークラジオLifeの教養論から

文化系トークラジオLife ロゴ

さて、それでこの本を読んで得た定義は何か。‥と、これを書く前にもうちょっと教養について語っているリソースを引用しておきましょう。

これはTBSラジオの文化系トークラジオLifeで、「教養」を特集した回に読まれていた読者メールの内容です。ちなみにこの回については、文化系トークラジオ Life: 2007/03/17 「教養」 アーカイブで実際の録音が聴けますし、以下の有志まとめでパーソナリティ陣の会話がテキスト化されてます(なんて便利なんだ)

教養は物事を客観視するのに役に立つのではないかと思います。ある現象・ある問題に直面した時に、直接的には解決に結びつかないかもしれませんが、教養があるからこそ、その現象や問題を含んだ全体の地図を描くことができる。それがどこに位置づけられるのか説明できます。
Lifeのホームページにもあったように、ただしその人の品格・良き人間を目指すと言うことを伴わない教養は単に知識・うんちくにしか過ぎないような気もします。

文化系トークラジオLife「教養」(外伝 第4回)(強調は私によるもの)

結構なるほどって思ったんですよ、これを聴いたとき。みんなAと言う事象をBという視点から考えているときに、Cという視点から発言する人がいて、それでなるほどーと思ったときに「この人教養あるなー」とよく思ったんですよね。

脳内ネットワークのイメージ図

私は学術系サークルに入っていたんですが、参加者はみんながみんないろんなバックグラウンドを持っているのですね。例えば私がディスカッションの司会をしていて、そこでこの話について絶対Aだろとか思っていてBの反論をいろいろ考えていても、C/D/Eなどいろんな所からBを関連づけて反論してくれるんですね。自分が被発表者の立場であれば当然そうするので、そうした自分の分野と相手の分野を結びつけて、物事を考える能力ってすごく鍛えられるのです。

そして、前述の投稿文ともシンクロしますが、こういうのが教養なのではないかなと。知識の総体じゃないんですね。もちろん出すべき引き出しは必要ですがそれはネットなりから調達できるわけで、全体の地図を描くために必要なのはそれをどういった時に、どう使うかという話だと思うのです。

で、以上をまとめて私の教養観を書くならば以下のようになります。

  1. 自分の中の知識・情報を有機的に関連づけ組織化・体系化する能力(知識ネットワークを組織する能力)であり、またそれをTPOに応じて適宜使い分ける能力(知識ネットワークを利用する能力)である。こうした能力は例えば、自分のことを相手の立場を考えながら説明したり、今までからは考えられない現象を既知の知識と関連づけて判断するなどといった際に使用される。
  2. 1を実行する上でその基盤となる能力。いわゆる論理的思考力などがこれにあてはまる。

で、これってそれ自体ですぐに何かに役立つわけではないんですよね。だから「ムダ」とか「実学とは正反対」とか言われるのも理解できるんですよ。「実学と正反対」であるならば、その根拠も教養が時空(時間および地理的な場所)の制限やその時々の流行廃りを超えて、有効なものだとすれば合点がいきます。上の定義に何か一時的なところに教養を限定する言葉は入ってないですしね。


ちなみに4255001545,textという本でも、第一章で「つながりを発見する能力」として似たような議論が展開されています。

そして、池谷さん(神経科学者)によると、三十歳以降は脳が独特な働きをするようになるので、三十歳を過ぎると、つながりを発見する能力が非常に伸びるんだそうです。科学的にこういう愛の手があると面白いですね。

ICUの教養論から

あとはオマケですが、大学研究家の山内さんが聴いた人文学論・教養論もなかなか面白いものでした。

ちなみに、大衆こそ教養を持つべきだという思想はフランスでは高校での哲学教育という形で現実と結実しているように思います。フランスの哲学教育は東京学芸大学の学生が書いた卒論が一番入手しやすくてわかりやすいリソースだと思うので、興味があれば読んでみてください。

あと、余った4 スペースで、オススメの哲学入門書をいくつかリストアップしておこうと思います。原書や岩波文庫は興味が湧いてから読むくらいでいいんじゃないすか。大学時代、暇がある時に一冊くらい読んでおくことをオススメするよ。

教養をつけるための哲学本

フランスのリセ(日本で言う高校)で使われた教科書。ちょっと過激でエンターテイメントにもなりうる哲学本。

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構造主義にはまると、世の中を構造主義的にしか捉えられなくなるのが怖いというかスリリングと言うか。

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地に足のついた哲学を展開する竹田先生の専門は現象学。哲学かじったことある人はジュニア新書の方は飛ばしていいかもしんない。

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コペル君が活躍するご存じ教養小説。社会の存在とか、グローバリゼーションって何とかいろんな学問が一冊に詰まった良書です。

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ヘーゲルとかなんとか主義とか言うとなんだか難しそうだが、西研さんは割とわかりやすく書いてくれてる。

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右翼と左翼ってよく言うけど何なのかな?から始まって、その定義を歴史的に振り返ることで明らかにして、最後に右翼と左翼という基準さえよくわからなくなっている現代を分析するという構成。歴史物が好きな人にもオススメ。

ちなみに、この本はサークルのディスカッションで使っていて、レジュメとキーノートを公開しています。もし、よければ見てみてください。

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  1. 関西では1年生を1回生と呼びます[戻る]
  2. これから書く話も何が教養かというファクト(事実)ではなく、どの教養論が自分にとって納得できるかという話です[戻る]
  3. ブックオフで安くで売ってると思うので、良かったら手にとって読んでみてください[戻る]
  4. ウェブだから余るはずないんだけどさ[戻る]

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