要約:ネットでいろんな物が手にはいるようになった。じゃあ、そこで対談を聴きに行ったり、本を注文して読んだり、ラジオをわざわざリアルタイムで聞いたりする意味ってなによって言うことを考えた話
Amazon なか見検索やらGoogle ブック検索やらと、今までアナログでしか見られなかった物がウェブの世界にどんどん出てくるようになってくると、もうウェブで十分なんじゃないかとも思えてくるのです(もちろん、まだまだの部分もたくさんあるわけですが)。
例えば、対談なんかは一昔前はそれこそ東京に行かないと聴けなかったし、ラジオもご当地でしか聴けなかったわけですけど、昨日やった対談が少しのラグでPodcastされたり、ラジオもPodcastされたりしているわけです。
でも、じゃあPodcastを聴かずに、わざわざお金や時間的コストをかけて対談を聴きに行くメリットって何よ?とか思うわけです。
| ネット(電子媒体・インターネット) | 鑑賞対象物 | リアル |
|---|---|---|
| バーチャルミュージアム | ←美術作品→ | 美術館 |
| eBook | ←テキスト→ | 紙の書籍 |
| インターネット上のニュース | ←ニュース→ | 新聞 |
| Podcast | ←コミュニケーション→ | 生対談や生放送のラジオ |
同じような疑問は最近友人と某美術館に行ったときも感じていて、「例えばモナリザなんかの有名な絵画なんかは既にネットで見られるわけ。なのになんで美術館にわざわざ行くのかな」とかを話していて、そこでの話とかもふまえると、あえてそうする意義は以下の3点くらいにまとめられるのかなと思いました。
- リアルだと現実の物をより正確に捉えられるから
- リアルタイム性があり、そこにコミュニケーションが生まれるから
- コストをかけることによって、作品に向き合うモチベーションが上がるから
一つずつ考えていきましょう。
リアルだと現実の物をより正確に捉えられるから
これはメディアの技術的な制限によるところが大きいです。
つまり、ネットを介すると作品の大きさ・立体物であればその造形は正確には表せませんし、またネットは視覚中心のメディアですから、嗅覚・触覚などの感覚によるフィードバックは図れないことになります。

例えば、岡本太郎氏の明日の神話をネットで見るのと、実際に足を運んでみて鑑賞するのとでは、また違った感想が得られるでしょう。
そして、場の雰囲気も作品を鑑賞する上では、重要な要素ではないかと思います。星は田舎の夜空で見るのが一番よく見えるのと同様に、作品が置かれている環境において一番よく理解できるように整えられているのかもしれません。つまり、モナリザなんかの例はそうですが、これらは物ではなく体験を消費しているのであって、そのためにベストな体験を消費するために美術館に行くのだと考えればすっきりします。
また、ネット上の文章は読まれるのではなく、スキャンされるのだというレポートもあります。これはメディア特性だと思いますが、本文を一語一語じっくり追っていきたいという読者には、eBookではなく紙の本と棲み分けしているのかもしれません。
では、可読性があがればよいのかというとそうではない気がします。それはAmazon Kindleを考察したときにも書いたけど、紙をめくりながら、時には考え、また読み進める。美術館と同様の話ですが、こうした体験の演出は電子ブック媒体がスペック上進化してもなかなか追いつけない点でしょう。
リアルタイム性があり、そこにコミュニケーションが生まれるから
リアルで鑑賞できる物をリアルタイム的だというのも変な話かもしれませんが、ネットのメディア特性から生じる問題だと思います。
まず、いくらネットで手に入る物は増えたと言っても、即行で手にはいるわけではなく、入手までにいくらかのラグがあることが多いですよね。また、ネットでは公開しないという物もたくさんあるでしょう。ですから、話題ができて、公開日が決まったときにそれと同時期に鑑賞すると言うことは難しくなります。
また、ネットというのはパーソナルなメディアであり、非同期的なメディアです。お茶の間にあるテレビをつけて、みんなで見ること(同期的メディア)はあっても、ネットをお茶の間のテレビでみんなで楽しむことは少ないでしょう。

それと同様に、バーチャルミュージアムやPodcastはパーソナル・非同期的に消費されるために、直接的にそれを通じてコミュニケーションが行われることはありません。一方で、リアルの美術館や生対談は(連れと一緒に鑑賞することは少ないかもしれませんが)、鑑賞後にそれらを媒介としてコミュニケーション(あの作品の感想やら)が行われるでしょう。これはリアルのリアルタイム性あっての事ではないかなと思います。
最近、ニコニコ動画で共産党の国会質疑があがって、それが話題になりましたが、これはニコニコ動画の擬似同期性によって、まるで同じ場でその国会質疑を聴いているような体験を共有できたことがその盛り上がりの一因だとも言えるでしょう。
よってネットの中でも、対談・講演などはこうした擬似同期的メディアで満足だから必要ないという方もいるのではないでしょうか(あくまでこの視点に立った上でのことであって、別の視点からは必要と言うこともできます)
コストをかけることによって、作品に向き合うモチベーションが上がるから
身銭を切ることでその作品に対して向き合う姿勢が変わるんじゃないかとする仮説です。もちろん、この場合の「身銭」は金銭的コストだけではなく、その場に足を運ぶための諸々の時間的・経済的コストなども含めてのことです。
どういうことかというと、ネットではあまりに簡単に作品を鑑賞できるが故に鑑賞したという気が起きない。逆にそうしたコストを払うことで「苦労したのだから見ようという」意欲が刺激されるのではないか。という背景があるのではないかということです。
ちょうどコレを書いて思い出したのが、ドラえもんの「苦労みそ」のお話。これは、何をするにもえらく苦労することになる道具を使ったことで、たかがホットケーキを食うだけでもしんどい思いをすることになったのだけど、その甲斐あってその成果(=ホットケーキ)が一段いいように感じられる用になったという話でした。YouTubeにも流れてます。
私はいろいろな要因があるのだけど、これが一番大きい理由なんじゃないかなと思っています。というのは確かにネットは便利です。そしてこれからもどんどん便利になっていくでしょう。
しかし、便利になった、つまり入手コストが低くなった反面、それを得て活用しようというモチベーションも減ったのではないかなと思うからです。それは、はてなブックマークの「あとで読む」タグにも象徴的な気がします。
人が何かに接する時にそこから何を得るかは、結局は当人の姿勢次第なのであって、プレゼントのように「ハイ、コレ」と誰かが渡してくれるわけではありません。また、そこにコストをかける必要があると言うことは、そこにアクセスできる人が限られていると言うことです。これはつまり、先のモチベーション論と併せてそれがその人の体験として他人とコミュニケーションをする上でネタにしやすいという面があることを意味しています。
このいささか逆説的な結論をふまえるなら、ネットサービスを提供する上で(その対象は何であれ)ユーザのモチベーションをどのようにして上げていくかという視点を持っておかないといけないということも思いますね。
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