これは一昨日にサークルで発表したことなんですけど、ここでも載せておこうと思います。中身としてはサークル員が書いた論文を批評して、自分なりの意見を出すというもの。私は「政治的無関心」について書かれた論文をネタに発表することにしました。
元にした論文は、国政選挙の投票率から見られる近年の政治的無関心を取り上げ、特に若者の政治的無関心を考察。そして、それを解消するにはどのような取り組みが適切かを提案する内容でした。以下、論文内容に大枠を沿いながら説明します。
政治的無関心とは何か
まず政治的無関心とは何か、ということですが、これは近年選挙の投票率の低下に見られるように、国民が政治に対して無関心であるように消極的な態度を取っていることを指します。では、政治的無関心は問題なのか。考えられるとすれば、人々が政治に参加するという「デモクラシー」の前提が失われるわけで、その結果として、人々の政治への(監視の)目は弱まり、権力が一部に集中するにつれ、政治は一部の人のためだけに行われるようになり、政治腐敗が進むと考えられるわけです。
実際のデータで見てみようということで、以下は衆議院議員および参議院議員の各選挙の投票率です。
いずれも00年代にはいって持ち直してはいて、巷で報道されているほど深刻ではないものの、90年代に入ってからの投票率の落ちが激しく、危機感が増したのでしょう。60%を切るか切らないかの投票率について絶対的に判断するならば、見解が分かれるものの、私は十分な投票率ではないと考えます。また、統一地方選挙の投票率推移のグラフは、よりはっきりと右肩下がりを示しています。
政治的無関心の類型化
こうした投票率の低下を理由に仮に「政治的無関心」を結論づけるならば、なぜこういうことが起こるのでしょうか?政治的無関心を類型化しようとした学者、デイヴィッド・リースマンとハロルド・ラスウェルの仕事を見てみましょう。
デイヴィッド・リースマンはアメリカの社会学者で、「政治的無関心」を「伝統的無関心」と「現代的無関心」の2つに分けました。前者は身分制の確立などが原因で、政治への参加ができない状況に置かれた結果、政治と自己とを切り離して、「政治なんてお上のやることで私の仕事じゃないんだよ」と考えている状態をいいます。でも、これは今の日本では当てはまりませんよね。その一方で後者の「現代的無関心」は、選挙制度も確立し選挙権などを持っているにもかかわらず、自己の役割に無自覚な状態を指します。現代の「政治的無関心」はコレに近いですね。
後者をより考察した形になるのがアメリカの政治学者・ラスウェルの仕事で、彼は「政治的無関心」における態度を以下の3つに類型化しました。
- 脱政治的態度
- 政治への失望・幻滅・不信などから政治への関心を失った状態。政治家のスキャンダルが原因で政治に失望するなどでしょうか。
- 無政治的態度
- 政治以外の物に関心があり、政治に関心を抱かない状態。仕事が忙しくて、政治なんてやってらんないですよという感じでしょうか。リースマンの「現代的無関心」に近い感じですね。
- 反政治的態度
- 政治への思想的な反発から政治との関わりを絶っている状態。宗教ファンダメンタリズムや無政府主義者など。日本ではあまり当てはまらなさそう。
反政治的態度が日本であまり見られないとなれば、現在の「政治的無関心」の中心は(ラスウェルの考察を元にするなら)脱政治的態度や無政治的態度と捉えられそうです。
政治的無関心の再検証
さて、さきほどは低投票率→政治的無関心という論理が真であると仮定しましたが、これは正しいのでしょうか。お気づきかもしれませんが、投票率にはかなりの要素に影響され、ブレがあります。
彼によれば、「関心はあるけど、投票したいと思える人がいない」と思う人は棄権するか白票を入れる可能性がありますが、こうした屈折的態度にある人は、投票者に含まれません(いわゆる「ノンポリ」と「無党派」は区別しないといけません)
一方で「投票はするけど、どうせ何も変わらない」と脱政治的態度を取っている者も、あるいは某支持団体や組織票を投じる構成員のように「知り合いに頼まれたから」「特に投票したいと思えないけど、うちの組織が○○氏を推しているので」という政治的関心から言えばむしろ消極的な態度を持っている者も投票者としてカウントされるのです。
政治的無行動?
で、あるならば、投票率を以て政治的関心の可否を問うことは難しいのではないかとも思えます。では、どのようにしてその可否を判断すればいいのでしょうか。
内閣府が継続的に行っている調査1 として「国民生活選好度調査」というものがあり、ここで政治に関心があるかどうかの質問項目があります。
1978年から2005年まで計10回、「社会の成り行きや政治には人並み以上の関心を持っている」という項目について4段階評価してもらうという項目なのですが、その推移は以下のようになっています。
上記データをグラフ化したのはコチラ(ちなみに元データは2005年度「国民の意識とニーズ」調査PDFから入手可能)
これを見ると、政治や社会への関心は90年代にはやはり投票率に沿って減少傾向が見られるものの、現在に至っては1978年頃と比べて減少しているどころか増加していると判断できます。
しかし、ではなぜ投票率がこれらの意識に沿って伸びないのでしょうか。つまり、意識はあるけれどもそれが「投票」という具体的な行動につながっていないと思えるんですね。ゆえに、いまあるのは「政治的無関心」ではなく「政治的無行動」なんじゃないかと思っています。
で、なぜそういうことがあるのかというと、以下のように政治を敬遠する材料があるのも原因だろうと。
- 社会や社会問題の複雑化・専門化し、一般には理解が難しくなった。
- メディアの発達により情報が多くなったが、その多さゆえに「政治は難しいもの」として理解された
- 政治的スキャンダル(政治とお金の問題など)により、政治への不信感が高まった
それに加えて、現在の選挙制度に原因があるのではないか。つまり、現在の選挙制度が有権者の意思をうまく伝えられておらず、政治に上手く反映されていないため、その結果としてこうした反応があるのでは、そう考えています。
現在の(日本の)選挙制度は「論点の”Winner gets all”」になっています。つまり、選挙において各党は多様な論点を用意し、有権者にアピールするけども、結果として選挙に勝った政党は「民意である」として、その党の全ての論点が支持されたかのように振る舞うことがあります。
今回の参院選で、民主党を支持した人がすなわち民主党の政策を全て支持しているか。もちろん、そうではないでしょう。例えば社会保障政策に関して私は、民主党の最低保障年金の全額税方式化には賛成ですが、消費税を据え置いてその全額を財源に充てるという政策は運用が難しく、福祉目的税を創設すべきであるという観点から反対です。
思うに、これは間接民主政の限界ではないかと思うのです。デモクラシーの前提からして、国民には政治への意識を持って欲しい。だが、実際に政を行うのは政治家である。ここに人々の参政意識を高めることの限界があるんじゃないかと。
だから、私は現在のデモクラシーをより直接民主政に近づけるべきだと思っていますし、住民投票に法的有効性を持たせることにもある程度賛成です(地域エゴをどうするのかという問題はありますが)
以下の調査は、内閣府が2005年に行った「国民生活に関する世論調査(複数回答可)」で寄せられた政府に対する要望のトップ10を表したグラフです。
まず、1位に来ているのは「医療・年金などの社会保障構造改革」です。これはこの年だけの話ではなく、近年国民の要望として社会保障構造改革は毎回のように上位に来ています。
しかし、にもかかわらず近年の社会保障を巡る議論は、現在の経済・社会制度に対応した抜本的な構造改革は行われず、表面的な制度変更に留まっているのではないでしょうか。年金一元化についての議論・運用については進展が見られるものの、財源についての不安が現在・未来について払拭されたとはとても言えません。
もちろん、求められる政策は社会保障改革だけではありあせん、上記のように多様な論点があるにもかかわらず、一つの政党に投票させるのは合理的ではないと思います。ですから、こうして現在の選挙制度を変更し、有権者の意志を伝えやすくすることが「政治的無行動」を解消する手ではないのかと考えています。
政策別選挙ー政策提言
これからはやや乱暴な提案になるかもしれませんが、参考としてお聞き下さい。
具体的には、現在の比例代表制度に替えて、各政策(論点)別の選挙を導入することを提案したいと思います。論点は5-10個ほど用意し、それは各党同じ数を出した両院協議会で決定することにします。話を抽象的にするのもなんですから、試しに8つほど挙げてみましょうか。

この8つのテーマに沿って各政党が意見を提出し、これに有権者が各政策で支持できると思う意見の政党に投票します。各政策について、投票数が最も多かった政党をその政策の得票政党とし、この結果に従って議席配分を進めます。
議院内閣制の原則として、国会の第一党が内閣を組織することは変わりませんが、全体として支持された政党は別の政策において別の党の政策が支持された場合、その意思を尊重して政策審議に自党の意見をゴリ押しすることは避けるべきです。
ここで、この政策別選挙のメリットをまとめておきます。
- 各政策別に有権者の意思を集めることができ、より正確に有権者の意志を政治に反映することができる
- 有権者も政治に対して、どこに焦点を定めればいいかはっきりし、明確な意識が湧く(と考えられる)
- 各政党の同一の論点に対しての意見が集約することになり、各党の比較が容易になる
- 少数政党でも政策に合理性があれば、支持され実現する可能性がある
8つの意見に「税制」などの論点を独立して入れなかったのは、選挙の論点にはしづらいだろうとと思ったからです。そりゃそうでしょう、「消費税増税に賛成か反対か」と言われれば、共産党あたりの反対案に民意は傾くでしょう。ですから、そうした大衆迎合主義に民意が傾きすぎないためにも、選挙のテーマにはしないものの、論点を明確にするために意見の提出を求めることにとどめるのがよいでしょう。
反論
で、以上の提案に対して、当然ながら何点かの反対(または部分的反対)が見られましたので、答えておきます。
論点は投票者=有権者が出すべきである
論点を政治家がするならば、国民が本当に望んでいる論点、また政治家自身に関わる論点(議員年金など)が出されないのではないかという反論です。
これは全くその通りです。私もできるならば、そうした提案がしたいのですが現実的には難しいのではないでしょうか。本当に適した論点を出すならば、その「論点候補」は幅広く多く集めるべきでしょうが、しかし、その論点候補を誰が判断するのかという問題と、その多くの論点候補から論点を選び出すほどの見識を果たして有権者が持っているのかという問題があります。
こうした点から、現状の間接民主政の信頼をある程度前提にしつつ、代議士に論点の絞り込みを行ってもらうのが現実的ではないかなと思っています。
論点の優先度がわからない
論点毎の優先度が不明で、どの論点がより有権者の注目を集めているのかが分からないという反論です。
これも確かに一理あります。しかし、裏返せばどの論点についても等しく有権者の意志を確認できるというメリットもあります。どちらのメリットを優先するかは判断が分かれるかもしれませんが。
わざわざ選挙でする必要性を感じない
わざわざ選挙で実施しなくても、アンケートや世論調査か何かを取って確認すればいいのではないかという反論です。
これについては一応考えがあって、選挙で掲げた政策の実効性をキッチリ担保してもらいたいというのがあります。選挙は有権者と国会をつなぐ根幹にありますから、その実効性も一番保障されると考えられるでしょう。ゆえに、いわば「参考意見」として聞くアンケートよりも実効性の点で優れているからというのがその理由です。
比例代表制のメリットについて考慮していない
小選挙区制の「死票が多い」「多数代表制で少数政党には不利」などの弱点を補うために比例代表制はあるわけで、それを安易に廃して、政策別選挙に変更するのは乱暴ではないのかという反論です。
しかし、政策別選挙も比例代表制のメリットを一部包含していると言えないでしょうか。少数政党でも政策が支持されれば、その政策案が委員会で大きく取り上げられ採用される事もあるでしょうし、政策重視型と言われる比例代表制の特徴をより強調した感じになっています。
大政党の掲げる政策の方が現実的に見えることもあり、政策面で妥当性があってもあえて投票しないという選択があるのが現在の投票制度ですが、政策別選挙に梶を切れば、仮に議会にそれほど席を占められないとしても、意見として政策審議に大きな影響を与えるでしょう。
まとめ
以上「政治的無行動」を、選挙に行こう運動であるとかの啓蒙によって解決するのではなく、有権者の意志をより正確に伝えうる実効性のある制度を確立することによって、解消したいと言うことをつらつらと語ってきました。
政治学や選挙制度論を体系的に学んだわけではないので、いささか強引で乱暴かもしれませんが、普段思っていたことを書いてみたまでです。何か思ったことがあれば、仰ってください。
参考サイト
- 政治的無関心 – Wikipedia(2007年8月10日 (金) 09:29)
- 政治的無関心 – 独学ノート
- 『若者たちの《政治革命》 組織からネットワークへ』
- 論座 – 潮流06 若者の「政治的無関心」は時代の空気の反映だ
- 深刻化する低投票率、政党の組織力低下も鮮明に(中央調査報より)
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- サンプル数としては毎回3000程度で公的調査としては絶対量としてやや信頼性に欠けるところがあるかもしれない[戻る]
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